サラリーマンでありながらサンダンス映画祭で日本人初のグランプリを受賞した映画監督/脚本家の長久允氏。どのように独自の方法で話題作を作り続けているのか、その思想に迫る。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

脚本の教室Photo: Adobe Stock

仕事のできる人ほどハマる罠

「それっぽいもの」を作れたとき、少し安心する。

 仕事でも、企画でも、文章でも、プレゼンでもそうだ。

 どこかで見たことのある構成。誰かが成功した言い回し。評価されている人のアウトプットをなぞったような完成形。

 たしかに、それは大きく外さない。上司にも説明しやすいし、クライアントにも通りやすい。何より、「自分はちゃんとやっている」と思える。

 でも、ふと考える。

 本当にそれは、自分が作る意味のあるものなのだろうか。

自分の人生のクライアントは「自分」

 映画監督・脚本家の長久允さんの著書『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう 脚本の教室』(ダイヤモンド社)を読んでいて、何度も立ち止まった。

 脚本の本でありながら、これは仕事や人生の本でもあるのではないか、と思ったからだ。

 長久さんは、本書の中でこう語っている。

 私の脳みそはもっと自由に弾けているのに、私はそれを日常でまったく使っていませんでした。毎日クライアント様に頼まれた仕事で忙しく、to do リストで脳みそを埋めていました。でも、やっと気づいたのです。
 自分の人生のクライアントは、「自分」じゃんか。
 それはそれはシンプルな気づきでした。よく考えたら当たり前なのに、労働する私はそのことを忘れて生きていました。


――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう脚本の教室』p29より

 この言葉を読んだとき、少し痛いところを突かれた気がした。

 なぜなら、自分もまた「評価されるもの」を作ろうとしているつもりで、実は「評価されそうに見えるもの」を作っていたのかもしれないからだ。

 自分の気持ちがないものを出して、果たして自分がやる意味はあるのか。

 そんな判断だけで作られたものは、表面は整っていても、薄さが感じられる。

上手いものが良いものとは限らない

 長久さんの話がおもしろいのは、「世界に通用するもの」を作るために、まず目を向けるべきなのは世界ではなく、自分自身だと言っているように読めるところだ。

 その物語を書いてほしいのです。それはあなたにしか書けないことなのだから。
 そして、それを書く上でもう取材はいらないわけです。取材対象はあなたで、その精度は通常の取材よりも計り知れないほどすでに高いのです。自分の人生を振り返って、もしくは今抱える問題や気持ちを見つめて、ただ脚本に書いていく。それでいいのです。スピ的な意味じゃなくて、映画ビジネス的にもそれこそがいいと断言できるのです!
 やっほー!

 世界はそれを求めています。書いてください。


――『あなたにしか作れないけれど、世界に通用してしまう脚本の教室』p224-225より

 本当に評価されるものは、「それっぽいもの」ではない。サンダンスで日本人初のグランプリを獲った長久さんの言葉には、説得力がある。

 ここでいう「自分らしさ」は、決して奇抜さのことではない。誰も思いつかない発想をひねり出すことでも、変わった人生経験を持っていることでもない。

 むしろ、自分だけが気づいてしまったものや、引っ掛かりに近い。

 そういうものは、効率的な仕事の現場では、真っ先に切り捨てられがちだ。「もっとわかりやすく」「もっと一般化して」「もっと売れそうに」と言われるうちに、いちばん生々しい部分が削られていく。

 でも、振り返ってみると、心に残る映画も、本も、記事も、完璧に整理された正解ではない。むしろ、少しいびつで、個人的で、でも不思議とこちらの記憶まで呼び起こすような何かだ。

「後悔しない生き方」を選べる人は、そのことに気づいているのではないか。

 つまり、「うまい人の真似をすれば、いいものが作れる」という思い込みを手放すということ。

 もちろん、真似ることは学びの出発点だ。けれど、最後までそこに留まっていては、自分の人生を使って作る意味がない。

 後悔しない生き方とは、派手な挑戦をすることではないのかもしれない。

 自分の中にある、まだ名前のついていない感覚を、「こんなもの」と捨てないこと。

 そして、誰かの正解ではなく、自分にしか作れないものを、少しずつ形にしていくことなのかもしれない。