「いまのままで、特に問題はない」――そう思えるのは、いまが順調な証拠かもしれない。だが35年前、経営学者ピーター・ドラッカーは『非営利組織の経営』のなかで、現状に満足して歩みを止めた組織こそ、静かに衰えていくと指摘していた。生成AIの普及で仕事の前提すら揺らぐ令和のいま、私たちは「現状維持」という選択の裏に潜むリスクを、どう見抜けばよいのだろうか。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

ドラッカー 成長

「いまのままでいい」の罠

「いまの仕事は問題なく回っているし、生活も安定している。だから、あえて何かを変える必要はない」。そう感じている人は、決して少なくないだろう。

 現状維持は、一見すると賢く、安全な選択に見える。新しいことに挑めば失敗する危険があるし、慣れたやり方を続けるほうが、心も体もずっと楽だからだ。

 ところが、30数年前にドラッカーが残した言葉は、その安心感に静かに水を差す。彼は、「変わらないこと」を選んだ組織ほど、自分でも気づかないうちに力を失っていくと考えていた。

 順調に見える毎日の裏で、いったい何が起きているというのだろうか。

牧師が5年で失ったもの

 本書には、この「いまのままでいい」という考えに冷や水を浴びせる場面がある。舞台は、ある小さな教会だ。

 その教会の牧師は、信者を「全員の顔がわかる大きさ」に保ちたいと願っていた。無理に大きくせず、顔の見える関係を大切にする。一見すると、温かく理想的な方針に思える。

 だがドラッカーは、彼に「それではうまくいかなくなる」と告げた。事実、その牧師が来てからの5年間で、教会に来る人の数はむしろ減っていたのだ。

 彼が問題にしたのは、規模の大小ではない。組織から活力が失われていくことだった。本書には、こう書かれている。

やがて成長も止まるからである。だが、組織としての勢い、柔軟性、活力、ビジョンを失ってはならない。さもなければ組織は硬直化する。

――『非営利組織の経営』より

 つまりドラッカーにとっての成長とは、単に人数や売上を増やすことではない。規模の拡大ではなく、組織が勢い、柔軟性、ビジョンを保ち続けることこそが重要なのだ。

順調なときこそ危うい

 小さく留まること自体が悪いわけではない。危ういのは、それを「もう変わらなくていい」と取り違えてしまうときだろう。

 本書のなかで、ドラッカーは組織が崩れ始めるきっかけについて、意外な指摘をしている。

万事がうまくいかなくなるきっかけは、失敗したときではなく、成功しているときである。失敗したときには、誰もが働かなければならないことを承知している。

――『非営利組織の経営』より

 うまくいかないときは、誰もが必死になって働く。ところが満ち足りているときこそ、「このままで大丈夫」という油断が忍び寄り、持てる力が無駄に使われていくというのだ。

 だからこそ、順調なときほど危ない。会社でも、個人のキャリアでも、うまくいっている「今」を守ろうとするほど、変化を機会として拾う目は、少しずつ鈍っていくのかもしれない。

衰退を遠ざける生き方

 では、私たちはこの教えを日々の仕事にどう生かせばよいのだろうか。大切なのは、「規模を追わないこと」と「立ち止まること」を、はっきり分けて考えることだろう。

 たとえば、これまでのやり方で十分に結果を出せてきた人ほど、「自分のスキルはもう完成した」と、学ぶ手を止めてしまいがちだ。だが数年後、周りのやり方が新しくなったとき、気づけば自分だけが取り残されている。そんな光景は、決して珍しくないだろう。

 特別な才能や、大きな決断が必要なわけではない。今のやり方を時おり疑い、変化を面白がる感覚を手放さないこと。その地道な選択の積み重ねこそが、私たちを静かな衰退から遠ざけていくのではないだろうか。

*この記事は、『非営利組織の経営』をベースに、独自の視点を入れて書き下ろしたものです。