現代にも続いている
「モガ」「女子高生」の言説
大宅壮一は先に挙げた「モダン・ガール」に対して、「左傾学生」(左翼運動に感化された学生をこう呼びました)と結婚したある女性を挙げ、夫の運動を助けるために「ショップ・ガール」(店員のこと。当時は女性の社会進出を表現するために「~ガール」と付けるのが流行っていました)などを勤めたものの、その後夫に愛人ができてしまい、「外に漏れると自分たちの運動を停滞させてしまうので」と女性の方から一旦身を引いて、その後反省した夫とヨリを戻したというエピソードを挙げます。自らの思いより社会運動の目標を重視するのが新しいとしつつ、これもまた「100%」のモガとは言えない、と指摘します。
そしてさらに、「別な新しい型の女性」として、親がプロレタリア運動における闘士であったために、しばしば親も子も検束(検挙)され、家庭という観念をほとんど持たずに育った女性のケースを挙げます。
巷の「モダン・ガール」は、模倣的ですぐにボロが出てしまうが、彼女こそが徹底した「100%」新時代を表現した「モガ」であるとしてこの文章は締められます。主張したい構図は理解できますが、完全に他人事として、勝手に期待したり批判したりしている点は否めません。ともあれ、大宅壮一は当時の都市文化に現れたこのような状況を「モダン相」と名付け、評価していました。
「モガ」的な感覚は突然生まれたものでもなく、その前にも「ハイカラ」な女学生が存在していましたし、明治末には「青鞜社」による女性解放のムーブメントが立ち上がっています。男性たちが「モガ」を論じる際にも、こうした先行する動きは十分に意識されています。ただ、その思想的背景をほとんど持たず、より消費社会的な姿勢で「モダン」を体現している点にこそ、彼らは思索を巡らせていたわけです。
例えば1990年代に入ってからの「女子高生」をめぐる言説にも、直接的な運動や思想ではないけれど、彼女たちの生き方そのものが「革命的」であると評するような側面がありましたが、基本的にこの頃と構図は変わらないのでは、と思えてしまいます。







