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戦時中の若者にとって、「死」は決して遠いものではなかった。しかし戦後になると、「生きがい」を追い求める若者たちが時代の主役になっていく。戦争を経験しない世代が初めて大人になったとき、「いまどきの若者」をめぐる議論にも新たな変化が生まれていく。※本稿は、批評家のパンス『「いまどきの若者」の150年史』(ちくまプリマー新書)の一部を抜粋・編集したものです。
なぜ山本五十六は
「今どきの若者は」と語ったのか
歴史と人間の関係とはしばしば不公平で、生まれてくる時代と場所、その後の政治/経済によっては、大きな苦難を強いられることがあります。戦争はその際たるもので、とりわけ「若者」たちの人生を一変させてしまいます。戦争が始まると若者は最前線に送り出される存在であり、近代以降、一般的に「猶予期間(モラトリアム)」とみなされてきた若者の時期は塗り替えられてしまいます。特に、日本に限らず第二次世界大戦に参加していた国の多くが総力戦体制に突入していった1940年代前半に、それは顕著でした。
例えば私の祖父は、終戦直前の1945年に召集され、九十九里浜にまで派遣されていました。すでに米軍機が頻繁にやってきては、軽く射撃して帰っていくのが日常で、その時は頭にタコツボを被りながら逃げるんだと祖父は笑って話していました。しかし、もし8月に終戦を迎えずその後も日本軍が戦闘を継続していたら、九十九里浜に侵攻してきた米軍と対峙することになったはずです。あるいは生まれたタイミングが少し早ければ中国や南方に送られていたかもしれませんし、結局偶然が全てを決めてしまうのです。







