
ピーター・F・ドラッカー(1909年11月19日~2005年11月11日)が「週刊ダイヤモンド」1981年9月12日号に「新しい市場を生み出す働く女性」と題した論考を寄せている。40年以上が経過したいま読み返しても、その内容は極めて示唆に富んでいる。
ドラッカーがまず指摘するのは、「女性解放」という言葉の意味の逆転だ。19世紀から20世紀初頭にかけての社会改革は、既婚女性を賃金労働から解放し、家庭に専念させることを「進歩」と考えていた。夫の収入だけで家族を養える生活こそが理想とされたのである。ところが20世紀後半になると、その発想自体が女性差別と見なされるようになった。
「昨日の進歩が今日の差別になる」という価値観の転換が起こっていると、ドラッカーは指摘する。さらに、女性が家庭のみにとどまる形態こそが工業化社会が生んだ一時期の特殊な現象にすぎないと断じ、男女が同じ職場で働く現代を、人類史的にも先例のない「社会的実験」と表現している。
その上で、女性の社会進出という現象の背後で、より大きな構造変化が進んでいるとみる。それは「標準的労働者」という近代社会の前提が揺らぎ始めているということだ。従来の社会制度は「フルタイムで働く成人男性」を標準的労働者として設計されてきた。しかし女性や高齢者の参入が進むと、パートタイム、再就職、ボランティアなど多様な働き方が組み合わされる社会になるというのだ。
そして、働くか否かの2択ではなく、人生の中で複数のキャリア段階を持つ働き方が一般化していく時代の到来を示唆する。
「仕事に就ける年限が1世紀前の25年足らずから50年に延びたから、第二の人生が可能となり、また必要にもなった。年金により人々はボランティア活動を行うことが可能になった」と述べている。
現代でいわれるワーク・ライフ・バランスや「人生100年時代」のマルチステージ型キャリア、さらにはリスキリングやプロボノ(仕事で培った技術や経験を生かす社会貢献活動)といった発想は、まさにこの延長線上にある。
40年以上も前に今日私たちが直面している「多様な働き方」の本質を見通していたことは、驚きに値する。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
ドラッカーがまず指摘するのは、「女性解放」という言葉の意味の逆転だ。19世紀から20世紀初頭にかけての社会改革は、既婚女性を賃金労働から解放し、家庭に専念させることを「進歩」と考えていた。夫の収入だけで家族を養える生活こそが理想とされたのである。ところが20世紀後半になると、その発想自体が女性差別と見なされるようになった。
「昨日の進歩が今日の差別になる」という価値観の転換が起こっていると、ドラッカーは指摘する。さらに、女性が家庭のみにとどまる形態こそが工業化社会が生んだ一時期の特殊な現象にすぎないと断じ、男女が同じ職場で働く現代を、人類史的にも先例のない「社会的実験」と表現している。
その上で、女性の社会進出という現象の背後で、より大きな構造変化が進んでいるとみる。それは「標準的労働者」という近代社会の前提が揺らぎ始めているということだ。従来の社会制度は「フルタイムで働く成人男性」を標準的労働者として設計されてきた。しかし女性や高齢者の参入が進むと、パートタイム、再就職、ボランティアなど多様な働き方が組み合わされる社会になるというのだ。
そして、働くか否かの2択ではなく、人生の中で複数のキャリア段階を持つ働き方が一般化していく時代の到来を示唆する。
「仕事に就ける年限が1世紀前の25年足らずから50年に延びたから、第二の人生が可能となり、また必要にもなった。年金により人々はボランティア活動を行うことが可能になった」と述べている。
現代でいわれるワーク・ライフ・バランスや「人生100年時代」のマルチステージ型キャリア、さらにはリスキリングやプロボノ(仕事で培った技術や経験を生かす社会貢献活動)といった発想は、まさにこの延長線上にある。
40年以上も前に今日私たちが直面している「多様な働き方」の本質を見通していたことは、驚きに値する。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
女性を労働から“解放”した
19世紀の改革者たち
19世紀の改革者は、既婚の女性を労働力人口から解放し、家庭と子供のために献身させようと努力したが、いまわれわれはこの最も誇るべき社会的成果を懸命になって撤回しようとしている。
歴史的に見ると、女性は常に男性と同じ比率で労働力人口に参入してきた。女性も男性も労働が可能になったときから、脱落するまでは、同じように働いた。
農場も職人の仕事場も、男性か女性のいずれかだけでは運営していくことができない。この二つの職場は男女を必要とする。また最近まで、人類のほんの一部を除けば、全ての者は農場か職人の仕事場で暮らしを立ててきた。
ディケンズが工業国イギリスについて悲惨な小説『ハード・タイムズ』を書いたのは、19世紀中ごろであったが、その頃になっても、既婚の女性が子供を置き去りにして仕事に出掛ける必要がなくなるということは、遠い将来のことと考えられ、なおユートピアのような望みにすぎなかった。
しかし、1914年になると、妻を賃金のために働かす必要がないということが、“自尊心ある労働者”の目標になっていた。
「週刊ダイヤモンド」1981年9月12日号
そして1950年になると、大半の女性は結婚すれば働くのをやめるということ、最初の子供が生まれたら、確実にやめるということが、一般的に受け入れられた。
恐らく、そんなに昔のことではなく、20年前までは、“女性解放”とは主として、賃金労働者の仕事に就く必要性から女性を解放することを意味した。リベラル派も進歩派も社会主義者も、あらゆる種類の改革者は、危険な仕事や“卑しむべき”職業から女性を守る法律が必要であるという点では、心から同意した。例えば、これがエリノア・ルーズベルト夫人の偉大な運動の一つであった。






