「生きがい」論はますます盛んであるが、「生きがい」の裏返しである「死にがい」の問題については、近年ほとんど語られることがなくなった。

 と始まるこの論考では、「生きがい」と「死にがい」が対比的に語られます。「死にがい」という言葉がかつて存在したわけではないのですが、少なくとも「死にがい」のような概念が、1970年代前半という時代においては消滅している、と井上は仮定します。

 どういうことかというと、太平洋戦争の時代においては、死ぬことに価値を見出す感覚が広く行き渡っていました。1970年代においても、もちろん現代から見ても、その感覚は掴みづらいものですが、当時はそのようなものが存在していた。それを知っている者から見ると、戦後の歴史、特に若者の系譜の中心には、「生きがい」の概念がある。「生きがい」を追い求めている若者もいるし、「生きがいがない」と言っている若者もいるけれども、「死にがい」は喪失されている、ということです。

 当然ながら、戦後数十年間は、年長者として「戦争経験者」が生きていました。つまりそれは、「若者」的なライフスタイルを送れなかった層の人たちが、その後生まれてきた若者たちをまなざす期間があったことを意味します。すでに戦場に行っていた人たちがほぼいなくなってしまった現代においてはなかなかリアリティを持つことが難しくなっているともいえますが、戦後に彼らが「今どきの若者は~」と言っていたその奥には、この「死にがい」が影を落としていたと考えながら、その後の歴史を見ていきましょう。

「いまどきの若者」が書いた
小説『太陽の季節』

 自民党と社会党の二大政党を軸とする「55年体制」が成立し、社会党や共産党と連動した労働運動は盛り上がりを見せました。1960年代中盤には、いわゆる「革新自治体」と呼ばれるように、主要都市や都道府県で革新派の候補が次々と首長に選ばれていったのです。

 このように社会全体が活気づく一方で、若者たちもまた非常に元気でした。ここでいう「元気」とは、型破りな行動で大人たちを驚かせ、前の世代を批判して注目を集めるようなエネルギーのことです。まさにこの時期に、のちに定着する「若者」というイメージ、「自意識が強く破天荒な存在」が形づくられたといえるでしょう。