その「戦後最初の若者像」を体現したのが、子どもの頃に敗戦を経験し、1950年代後半に若者として活躍し始めた「戦後派」、あるいは「焼け跡世代」と呼ばれる人びとでした。なかでも最も象徴的で広く知られているのが「太陽族」です。作家・石原慎太郎の小説『太陽の季節』と、その弟・石原裕次郎が出演した映画版は、大人たちが眉をひそめるような若者の生活を描き、一躍時代の象徴となりました。
皇太子「ご成婚ブーム」で
戦中派が覚えた違和感
『文藝春秋』1958年4月号には、ロカビリーのスターであったミッキー・カーチスらとともに、若者文化の論者として大江健三郎と大宅映子が参加した座談会が掲載されています。一見すると無軌道にも思える若者文化を、同世代の若手論客たちが大手論壇誌で積極的に、しかも好意的に取り上げてみる。それもまた、この時期の象徴的な現象でした。
大宅映子の父は、雑誌アーカイブ「大宅文庫」を創設したことで知られ、「モダン・ガール」を論評していたジャーナリスト・大宅壮一です。彼は自身を「戦中派」と位置づけ、そのうえで戦後の若者たちに対して複雑な感情を抱いていました。『中央公論』に掲載された「戦中派は訴える」には、大宅のほか小説家の遠藤周作らが参加し、「明るく、お腹の底から笑う」若者たちの存在を指摘しています。
『「いまどきの若者」の150年史』(パンス、ちくまプリマー新書)
ここで難しいのは、彼ら、すなわち「戦中派」の多くが戦時中に若者であり、徴兵の対象として動員された世代であるということです。もっとも多感な時期に軍国主義の教育を受け、それ以前の大正デモクラシーなどの革新的な動きにも間に合わず、非常事態を「日常」として生きてきたのです。彼らにとって、戦後の自由は喜ばしいものでした。しかし一方で、戦争を経験していない若者たちが、明るく楽しげに暮らしている姿には、どこか馴染めない複雑な思いもあったのです。
たとえば1959年には「ご成婚ブーム」が起こりました。皇太子の結婚を国を挙げて祝福したこの出来事は、「恋愛結婚」であり、しかも皇太子妃が「平民出身」であったことから、大衆的な熱狂を呼びました。政治学者の松下圭一は『中央公論』1959年4月号に発表した「大衆天皇制論」でこの現象を分析しています。とくに若者たちが、皇太子の結婚をまるでスターの結婚のように祝った姿は、戦時を直接知らない世代の平和的な明るさを象徴していました。
しかし同時に、それは「天皇」を神聖視してきた戦中派や上の世代にとって、どこか割り切れない出来事でもあったのです。こうした「戦争を知らない若者」と「戦争を経験した大人」という構図は、1980年代に至るまで日本社会の世代意識に影を落とし続けることになります。







