日本人が最も好む投資信託が、「eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)<通称オルカン>」です。資金流入額は1兆円を超えて長らく首位を走り、最新のデータでは純資産総額でも日本の公募投資信託でトップとなっています。その人気のベースにあるのは、「長期・積立・分散」という投資の原則ですが、ブルーモ証券CEOの中村仁氏は、「オルカンへの過度の集中は、分散投資という理念が形骸化しかねない状況だ」と警鐘を鳴らします。
Photo: Adobe Stock
インフレと低金利に加え「AIバブル」のリスクを抱え、個人が自分の資産を守らなければいけない時代において、日本の個人投資家はどのような備えをとっているのだろうか。
日本でも株式投資をはじめとした資産運用に対する考え方は大きく変わりつつあり、投資の社会への浸透は過去10年で大きく進んだといえる。しかし、その進展はある種のスローガンに従った盲目的なもので、本質的な理解を伴っておらず、AIバブルというリスクをはらんだ相場環境を生き抜けるのか、危うさを感じるものでもある。
「長期・積立・分散」という美しい原則の功と罪
日本の投資啓発において、「長期・積立・分散」は合言葉となった。この原則は資産形成期には有効であり、実践できれば資産成長とリスクコントロールを両立できる合理的な手法である。特に投資未経験層にとって、「毎月一定額を低コストのインデックスファンドで積み立てる」戦略はわかりやすく、再現性も高い。
なかでも「オルカン(eMAXIS Slim 全世界株式〈オール・カントリー〉)」やS&P500連動型ファンドは、SNSや書籍、NISAを通じて若年層に広く浸透した。「オルカン一択」「S&P500だけでよい」という投資スタイルが、あたかも唯一解のように語られるようになったのは象徴的である。
背景には、2020年以降の強烈な上昇相場がある。コロナショック後の金融緩和と財政出動により米国株は急回復し、テックセクターを中心にS&P500やNASDAQは最高値を更新した。積立投資家は2021年までに大きな含み益を得て、その後も2022年末からのAI相場で株式市場は好調を維持した。日本人が本格的に投資を始めてから2026年現在まで、ほぼ負けなしの相場が続いたことで、「積立投資は勝てる」「インデックスは裏切らない」という認識が広がったのも無理はない。
この普及により、「投資はギャンブルではなく、安定して増やす手段である」という認識が社会に定着し始めた意義は大きい。日本が若年層人口と金融資産の大きい成長段階の経済状況であれば、この原則だけで十分だったかもしれない。しかし現在の人口動態を踏まえると、単純化された「長期・積立・分散」は、本来「貯蓄から投資へ」に取り込むべき層を排除するメッセージになりかねない。
「預金感覚」のインデックス投資に潜むリスク
オルカンやS&P500を「盲目的に積み立てるだけでよい」と考える風潮には注意が必要である。2022年の株安局面では、米国株がドルベースで約20%下落した一方、急速な円安により日本円ベースの評価額は大きく減らず、損失を回避できた投資家も多かった。
この体験は、日本の個人投資家に一種の成功体験として根付いた。「オルカンは預金の延長」「ほったらかしで必ず増える」といった認識も広がっている。筆者もブルーモ証券で多くの個人投資家と接するなかで、「オルカン・S&P500」を預金感覚で語る人の多さに、リスク感覚のゆがみを感じてきた。これは長期デフレ下での「預金は安全」という反応と同様、“変化しない前提”に依存する姿勢ともいえる。
しかし、2022年のように通貨下落が株価下落を相殺するケースは特殊である。歴史上、株価の長期停滞局面は存在しており、為替が常に損失を補うわけではない。リスクを一方向にしか見ない投資行動は、資産防衛にはつながらない。
さらに株式市場は、長期金利の上昇、地政学リスク、AIバブルの収益正当化といった複雑な課題を抱えている。「オルカンは常に右肩上がり」という期待は、再考が求められる局面にある。
金融知識が広がらない日本で分散投資は形骸化している
コロナ以降の偏った成功体験を背景に、日本の個人投資家の多くは「株式インデックスを積み立てて放置すれば安心」という固定観念を持ちつつある。しかし、それだけで将来にわたる安定的な資産形成が約束されるのかは、立ち止まって考える必要がある。特に懸念されるのは、日本における投資助言者や金融教育の不足である。
米国ではRIA(登録投資顧問)という独立系投資アドバイザーが、個人のライフプランや市場変動に応じてポートフォリオ見直しを助言する仕組みが定着している。一方、日本ではこうした専門職が十分に根付いておらず、多くの投資家は中立的な助言を得られないまま手探りで運用している。
投資が浸透する一方、金融リテラシーは十分に底上げされていない。金融広報中央委員会の「金融リテラシー調査」では、金融知識・判断力を測る25問の正答率は、2016年55.6%、2019年56.6%、2022年55.7%と、6年間でほぼ横ばいである。情報接触面でも、2022年には金融・経済情報を「月に一度も見ていない」人が39.9%に達し、2019年の38.7%からむしろ増加している。
こうした環境では、投資家が自らのリスク許容度や将来設計に応じて資産配分を調整することは難しい。実際、日本では「とにかくオルカンを積み立てておけばOK」という風潮が広がる一方、市場環境や運用ゴールの変化に応じてポートフォリオ全体を見直す動きは乏しい。
つまり、分散投資という理念が形骸化しかねない状況である。米国株式と全世界株式の2本立てで安心と考える人も多いが、実際にはどちらも株式という同一資産クラスであり、主要投資先も米国市場に偏るため相関が高い。米国市場全体が低迷すれば、ポートフォリオ全体が大きな打撃を受ける可能性がある。
「AIバブル後」の備えとしてできること
『AIバブル後の投資戦略』で提起する「AIバブル後」というキーワードは、AIによる技術革新に対するアンチテーゼでもなければ、2026年5月現在の相場環境をバブル状態であると断じるものでもない。むしろ、筆者はAIという技術は社会を変革する歴史的なイノベーションであり、その果実としての株価上昇は当面の間は続くだろうと考えている。
しかし、投資という行動において「未来が不確実であること」を前提にするならば、過去10年で起こった歴史的な上昇相場が、次の10年も続くと考えることには大きなリスクがある。仮に次の数年間でこれまで通りの上昇相場が続くとすれば、そこには「バブル相場」が生じるリスクがあり、いつかは株式市場が平均回帰するための停滞が起きる可能性がある。
日本の個人投資家がこのまま“ほったらかし”で走り切れると信じるなら、最も危ういのはその「前提」への無自覚である。相場が右肩上がりであること、為替が追い風であること、制度が守ってくれること―そうした前提条件が崩れたとき、再び日本の投資マインドが平成バブル崩壊後の「投資は怖い」という意識に逆戻りしてしまう可能性すらある。
実際、1990年代の平成バブル崩壊以降、日本の家計はリスク資産から遠ざかり続けてきた。このときのトラウマから超低金利下で預金に資金を滞留させ続けた結果、本来得られたはずのリターンを逃し続けてきたと振り返ることもできる。もし今後株式インデックス投資に陰りが見え始めたとき、日本の投資家が当時と同じように市場から退場してしまえば、結局は資産形成の好機を再び失うことになりかねない。
分散投資の本質は、不確実な未来に対する備えであり、環境変化に耐え得るポートフォリオを設計することである。折しも日本はインフレと低金利・円安という未曽有の局面に直面しつつある。もはや資産運用は「お金を増やす手段」ではなく「自分や次世代の未来を守る手段」と位置付けられるべき時代だ。
「AIバブル後の投資戦略」とは決して米国株や株式投資の全面否定ではなく、単一資産依存から脱却した真の分散投資こそが長期的に資産を守り増やす鍵ではないかという問題提起である。日本の個人投資家はこのまま「オルカンほったらかし投資」で最後まで走り切れるのか――その前提をいま一度問い直し、「真の分散投資」とは何かをともに考えていきたい。
★本記事は書籍『AIバブル後の投資戦略』の一部を抜粋・編集したものです。







