スーダンの難民キャンプを取材した彼は、驚くべき事実を知ります。
「難民とは、言ってみれば被害者だ。私はずっとそう思ってきた。が、国境なき医師団が直面している最大の問題は強盗殺人と窃盗だった。難民キャンプの居住者は救援スタッフから物を盗み、互いに盗み合い、敵討ちをし、優遇されないと食料の無料支給の妨害をする者もいた」
「地元の役人は、西欧の援助組織が約束したとおりに物資を届けなければならないことも、食糧が適切な時機に適切な人々に届かなければ個々の援助従事者のキャリアが傷つくことも知っており、そのことで援助従事者を強請った」
でも、テレビ局や新聞社の編集責任者は、「かわいそうな難民」の記事を求めます。視聴者や読者が、そんなイメージを持っているからです。
そんな状況に対して、著者は次のような提案をします。ニュースは「例外」を伝えるものであることを知ること、物事には多数の見解があることを知るべきだ、と。メディアの現状に失望した著者だからこそ言えるメッセージなのです。
<ヨリス・ライエンダイク『こうして世界は誤解する ジャーナリズムの現場で私が考えたこと』田口俊樹・高山真由美訳、英治出版、2011年>
コーランがわかればイスラム教がわかる
『コーランには本当は何が書かれていたか?』
2015年11月にフランスで起きた同時多発テロ。そのあまりに残酷な行為に言葉を失いました。こうした事件で出てくる言葉が「イスラム過激派」。パリ同時多発事件では、事件を引き起こした組織自体が、自らを「イスラム国」と名乗っていました。
イスラム教は怖い宗教──事件の印象などから、そう思ってしまうのも無理はないかもしれません。では、世界に18億人もいるイスラム教徒が、みんな過激派なのでしょうか。もちろん、そんなわけはありませんね。過激派は一握りの存在。そのことは、頭で理解していても、なかなか納得できないもの。では、イスラム教の聖典『コーラン』を読んで、自分で確かめてみるというのは、いかがでしょうか。







