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カルロス・ゴーン氏が提唱した「日産リバイバル・プラン」。日産の再建において、彼のコストカット手腕ばかりが注目されがちだが、真の立役者は現場にいた従業員たちだ。部門の垣根を越えた若手中心のタスクチーム「クロス・ファンクショナル・チーム(CFT)」を結成。「言われたから作る」から脱却し、顧客志向のクルマづくりへと舵を切り、崩壊寸前の状態からわずか2年でV字回復を果たした。トップダウンだけでは成し得なかった日産の真の復活を、当時の幹部たちの証言とともに紹介する。 ※本稿は、近岡 裕『日産 最後のサバイバルプラン 転落の真因と復活への提言』(日経BP)の一部を抜粋・編集したものです。
従業員が編み出した解決策
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ゴーン氏は「コストカッター」とも呼ばれ、人や工場を含めて容赦なくリストラして固定費を削減した。そうした異名を持つカリスマ的な経営者のゴーン氏だからこそ、リバイバル・プランは成功した。それは間違いないだろう。だが、経営再建に必須の解決策(ソリューション)を考案し、実行に移したのは従業員だ。
リバイバル・プランでは、各機能や各組織を横断して結成されたプロジェクトチーム「クロス・ファンクショナル・チーム(CFT)」が実行の鍵を握った。そして、顧客志向のクルマづくりを推進する仕組みを構築することで、ヒット車種も生み出した。1人ひとりの従業員の知恵と懸命な努力がV字形回復の原動力となったことが、ゴーン氏を支えた当時の幹部の言葉から分かる。
実際、リバイバル・プランの骨子となるプランを提案したのは、日産自動車の従業員である。再生プランの策定については、外部のコンサルティング企業に頼むよりも、従業員が自ら見つけ出すほうが賢明かつ効果的であるとゴーン氏は考えたからだ。そして、そのために編成されたのがCFTである。
CFTは、経営に直結した責任の重いタスクチームとして1999年7月に発足した。その使命は、日産自動車の活力を阻害してきた既存の枠組みや組織、概念を改革し、将来に向けた新たなチャンスを見つけて経営側に提案することだ。CFTの総数は変動し、リバイバル・プランを策定する前には10チームで、その後、14チームが活動を続けた。







