過度な自信。不用意な楽観。根拠の薄い確信。「今回は違う」という言葉。ソロスは、それらがどこまで積み上がり、どこで折れそうなのかを、執拗に見続けました。逆に言えば、それ以外のものは、あえて切り捨てた。

人々の心理の崩壊が
ポンド危機を招いた

 多くの経済学は、市場を合理的主体の集合としてモデル化します。価格は情報を反映し、歪みはすぐに修正される。理論上は、美しい世界です。

 しかしソロスは、その前提自体が現実と合っていないと考えました。市場を動かしているのは、合理的な主体ではない。感情を持ち、思い込みを抱え、恐怖や欲望に揺れ動く人間です。

 その象徴的な事例が、1992年のポンド危機(編集部注/イギリスの通貨であるポンドの為替レートが急落、イギリスは欧州為替相場メカニズム(ERM)を離脱した)です。この取引は、しばしば「ソロスがポンドを売り崩して儲けた事件」として語られます。しかし、その本質はそこにはありません。重要だったのは、イギリス政府の置かれている立場と、市場参加者の心理でした。

 ソロスは、英金融当局が為替レートを防衛したいと考えていることを知っていました。同時に、それを続ける体力が限界に近づいていることも理解していた。市場参加者もまた、その矛盾に気づき始めていた。

 彼が見ていたのは、「レートが維持されるかどうか」ではありません。人々が、いつ防衛を信じなくなるか。どの瞬間に、「もう守れない」と感じるか。市場が動いたのは、その心理が崩れた瞬間でした。

 ここで重要なのは、ソロスが未来を「当てた」わけではないという点です。彼自身、繰り返し語っています。自分の予想は、しばしば間違うと。

 実際、ソロスは数多くの失敗を経験しています。大きな利益を上げた裏側で、同じくらい痛い失敗もしてきました。しかし彼は、失敗を偶然や運の問題として片づけませんでした。必ず、「自分の前提認識のどこが歪んでいたのか」を問い直しました。

 ここに、彼の本質があります。多くの投資家は、間違いを認めることを恐れます。自分の理論が正しいと信じ続け、損失を抱え込み、やがて市場から排除される。市場は、間違いを犯した者を排除するのではありません。間違いを認めない者を排除するのです。