日本滞在が1カ月に
およんだ本当の事情
1987年9月9日に成田に到着し、10月19日香港に向け日本を発つまで、約1カ月、日本に滞在したのはマイケル・ジャクソンにしては大変珍しい。どの場所に行ってもコンサートが終わると、滞在は少なく、すぐ次の場所に移動するのが常であったと聞く。
まずなんといっても本人が日本をものすごく気に入ってくれた。
「大声で話すアメリカ人にくらべて、静かに、しかも丁寧に話す日本人がとても心地がよい」
「そして日本人の目はいつも優しく、マイケルを見て話しかけてくれる、それにみな、心がこもっている、こんなに気持ちが楽でいられる国ははじめてだ」
と口癖のように言っていると、ジミー・オズモンド(編集部注/アメリカ人ミュージシャンで、マイケル招聘のきっかけを作った人物)が私に話してくれていたのは、本当に誇らしくこの上ない喜びを感じた。
しかしだからといって、忙しい彼やたくさんのスタッフが1カ月も滞在するわけがなく、契約のなかに、本放送1回、再放送1回のほかに、制作のドキュメント映像番組の出演、わが日本テレビ事業局出版部取材とメモリアルブックの出版など、が含まれていた。
コンサートをしただけで次の国へ移動することは簡単にできなかったのである。
またそのほかにも他社の会社訪問や施設訪問などマイケル側が日本テレビとは関係なく結んでいた約束もあった。それで、結局1カ月の滞在になってしまったというのが事実であろう。
この後、マイケルは日本を離れて、世界ツアーに出かけたわけだが、北米54公演、ヨーロッパ41、アジア23、オーストラリア5、1989年1月27日までに計123回の公演をこなしてアメリカに帰っていった。
日本人の所作や文化を
とても気に入っていた
マイケル・ジャクソンは思うに、アングロサクソン的なマッチョなアメリカ(人)よりも、どちらかといえばスリムで“こじんまり”した日本(人)が好きだったような印象を受けた。
彼の踊るダンスに、東洋的なブルース・リーのような身体の使い方の影響を感ずるのは私だけだろうか。当時の黒人の間での、東洋的なブルース・リー人気は絶大だったのもうなずける要因のひとつであろう。







