多くの場合、決意表明で終わってしまいます。なぜそうなるかといえば、「やればできる」という可能性の中に生きたいからです。そして、可能性の中に生きるのは、結果が出るのを恐れるからです。
勉強をしない子どもに「なぜ勉強しないのか」とたずねてみても、おそらく自分でもわけはわかっていないでしょう。そのわけの1つが、結果が出るのを恐れることです。
頑張って勉強しない子どもに「もっと頑張ればよい成績が取れるのに」といっても頑張らないでしょう。よい成績を取りたくないわけではありません。頑張って勉強しなかったからよい成績を取れなかったというのであれば、受け入れることができます。次の機会に「もしも」頑張ればよい成績を取れると思えるからです。これが可能性の中に生きるということです。
しかし、頑張ったのによい成績を取れなかったことは受け入れたくはありません。自分の無能があらわになると考えるからです。さらに、結果を出すことを恐れる子どもは、結果を出さないために試験を受けないかもしれません。試験を受けなければ結果は出ないからです。
しかし、そのような可能性の中に生きなくてもいい、勉強が足りなければ低い評価がされるが、次はよい結果を出すためにただ努力すればいいと教えなければなりません。
勇気をくじかれている
算数が不得意な子ども
アドラーは次のように子どもに語りかけています。
「最初は泳ぐのが大変だったことを覚えているだろうか。今のように泳げるようになるまでには時間がかかったと思う。何でも最初は大変だ。でも、しばらくするとうまくできるようになる。泳げるようになったのなら、本を読んだり、算数もできるようになる。でも、集中し、忍耐し、何でもいつもお母さんがしてくれると期待してはいけない。他の人が君より上手だからといって心配してはいけない」(『子どものライフスタイル』)
何事も一朝一夕に成し遂げることはできません。とにかく、最初の一歩を踏み出すしかありません。
他の人が上手であるかどうかも関係がありません。他の人がどうであれ、上達したいのであれば、努力も時間も必要です。勉強も同じです。
ここで算数が言及されていますが、算数が不得意な子どもは勇気がくじかれているとアドラーは考えています。
『アドラーの教育論 対等と自立』(岸見一郎、幻冬舎)
「どんな学科でも〔他の人が援助することで〕楽にできるようになるということがある。しかし、算数にはそういうことはなく、自力で取り組み考えなければならない。甘やかされた子どもたちは、大抵算数に十分準備されていないのである」(『教育困難な子どもたち』)
水泳も算数も、他の誰かが代わることはできません。それにもかかわらず、甘やかされて育った子どもは誰かに依存しようとします。算数でなくてもどんな教科も自分が努力しなければ身につきません。
依存的な子どもが課題に取り組めるようになるには、勉強に限らず生活の中で、自分がしなければならないことを周りの大人が取り上げないようにしなければなりません。たとえ最初は失敗し思うような成績を取れなくても、自力で取り組み達成感を持てる援助をすれば、勉強やスポーツでも最初から諦めることはなくなるでしょう。







