少しわかりにくい説明ですが、この記事は物価高騰の主な原因について、「準戦時体制的な財政経済政策」、つまり近い将来の戦争に備えた軍事費偏重の予算編成と経済政策が原因だと説明しました。そして、この物価上昇の流れは今後も続くと予想しました。
同日同紙9面に出た関連記事の見出しは、「軍拡景気背景に 物凄い物価の昂騰」「鰻上りの原料品」「鉄鋼相場は実に十割高」「国民生活の窮迫避け難し」などでした。
当時、日本の首相は広田弘毅で、二・二六事件直後の1936年3月9日に誕生した政権でした。広田は軍人ではなく外交官出身の政治家でしたが、広田内閣では発足当初から軍部(陸軍と海軍)の発言力が強く、組閣の際にも軍部大臣が介入して、閣僚の候補として名前が挙がった吉田茂や下村宏、小原直らが、軍の容認する別の人物と替えられました。
広田内閣は、軍部の要望に従い、1937年度の予算案では総額30億3900万円の半分近い14億1000万円(前年比33パーセント増)を軍事費に充てる予算案を作成していました。この軍事費の大幅増額予算を正当化するため、国民向けに広く流布されたのが、「非常時」や「準戦時」といった、戦争の危機感を煽る言葉でした。
軍事費増大のしわ寄せが
国民の生活を直撃した
月刊誌『中央公論』1937年5月号に掲載された「狭義国防=生産力拡大=インフレ破綻」という記事は、軍事費の増大と物価高との関連について、こう説明しました。
「昨年十一月、三〇億四〇〇〇万円の厖大国防予算案が閣議を通過するや、物価は急騰した。日本銀行東京市中小売物価指数は、(一九三六年)十一月の一五八から十二月の一六二、本年(一九三七年)一月の一六九と、わずか三カ月の間に十一点を増した」
戦争が起きれば物の値段が上がる、という事態を、日本人は過去に何度か経験していました。1904年から05年の日露戦争や、1914年に始まった第一次世界大戦とそれに続いて1925年まで行われたシベリア出兵の時、いわゆる「軍需景気」で財閥系企業などが大きな儲けを手にしましたが、貨幣価値が下がり物の値段が上がるインフレーションも同時に起きたため、一般の労働者や農民の暮らしは逆に貧しくなりました。







