しかし、1937年前半の日本では、まだ戦争が起きる前から、軍事費の割合が著しく増加した「非常時予算」に引きずられる形で、これと似た状況が起き始めていました。
5月10日付大阪朝日新聞の朝刊1面には、「深刻な物価急騰の渦紋」「一年の騰貴率二割五分 最近の反落も持続疑問」「深まり行く窮迫 国民生活に重大暗影」「惨めな俸給生活者 実質賃銀(金)の上がらぬ労働階級」などの切実な見出しが並びました。
物価高に苦しむ国民をよそに
対策は遅々として進まなかった
政府は、5月10日の閣議でようやく林首相を委員長とする「物価対策委員会」の民間側委員15人を決定し、本格的な対策会議を始めました。しかし、15人のうち、財界(大企業経営者)以外は東大名誉教授の山崎覚次郎1人であったため、「物価対策委員会の本来の目的から乖離した、大企業偏重の委員会だ」との批判が寄せられました。
政府の情報委員会が刊行する『官報附録 週報』の6月30日号は、内閣統計局による「物価騰貴と家計」という記事を掲載しました。そこでは、1931年からの5年間の統計データに基づき、米と麦の価格が5年間で4割1分も上昇していること、米麦と光熱費への家計の出費には「弾力性(必要に応じて増減させる余地)」がなく、これらの価格が上昇すれば、被服費や文化費を減らす形で調整されていることなどを指摘しました。
一般国民にとっては、日々の物価高騰も、自分たちの生活の安定を脅かす「非常時」であり、政府は本来、自国民の生活の安定を守る努力をしなくてはならないはずです。しかし、当時の日本政府は「非常時」という言葉を主に「他国との軍事的な緊張」に限定し、「準戦時」というより直接的な言葉も使って、国民に生活上の我慢を強いました。
『戦争を甘く見る空気 1930年代と似た道を進む現代日本』(山崎雅弘、朝日新聞出版)
そして、いい意味でも悪い意味でも「まじめな」日本国民は、今まで買っていたものを買わなくなったり、買う量を減らしたりして、我慢と工夫で物価高に対処しました。
それではなぜ、1937年前半の日本政府は、物価の高騰に苦しむ国民を無視して、限られた予算を軍事費に多く振り向け、軍備増強を国策として進めたのでしょうか?
その背景には、アメリカやイギリスなどと結んだ軍縮条約の期限が切れたことをチャンスと見て巨額の予算を要求した海軍の思惑と、中国大陸で頻発する中国軍や中国国民との小競り合いに苛立った陸軍の新たな計画などがありました。
つまり、国民の暮らしよりも、近い将来に「起きるかもしれない」戦争への準備を優先して、物価の高騰を招いて国民の負担が増すのを承知で、軍事費を増大させたのです。
1937年の日本と
現在に重なる不穏な空気
1937年の日中戦争勃発から89年が経過した2026年の日本。
この国では再び、戦争を甘く見る不穏な空気が広がっているようにも見えます。当時と同じような物の見方と考え方、同じような言葉遣い、同じような政策上の優先順位が、政府と国民、そして両者の間を繋ぐメディアの中に出現しています。
そして、当時使われていたのと同じような語句や論法を用いて、政府や国策への異論を封じる恫喝の言説が、ネットの爆発的な影響力を通じて社会に広がっているようです。
これはつまり、日本国民の意識が、何らかの理由で、1930年代の日本と同じようなものへと回帰しつつあることを意味します。







