
学問のすゝめ味がそこはかとなく漂う
日曜日、横沢(井上祐貴)が寮にりんを訪ねてくる。
女子寮に関係ない殿方が来ることに困惑するりん。場所をいつもの飴屋に移す。横沢もシマケンと同じで、言葉を聞きたいという口実でりんに接近してくる。
「Notes on Nursing 」とはどういう意味なのか質問されたりんは、がぜん、声を大きく強くして「つき詰めるとやっぱり看護は観察」「人が好き。人が好きならできます」と解説する。
口調の変わったりんを見て、彼女の看護への思いの強さを感じる横沢。元家老の娘の苦労だらけの人生を振り返りながら、急に鉛筆を削りだす。
「人生の岐路に立つたびに人の道を外れてきたんですね」とまとめる横沢。それを「飛び切り面白い人だ」と高評価。
「同じ道を歩く人ばかりでは、社会は新しくなっていきません」
そう、『風、薫る』のキャッチコピーは「道をはずれた人から、いつも人生は生まれた」である。それを横沢に言わせている。
そんなとき、外で暴力事件が発生。演説を聞いていただけの市民を暴力で取り締まる警察に、横沢は物申す。
「言論には言論で返せばいい。こんな暴力を市民に振るうのは断じて間違っている。これが近代国家、大日本帝国の巡査のすることか。恥を知れ!」
憤る警官に、横沢は「私は記者です」と手帳とペンをかざす。このとき、先ほど、削っていた鉛筆の尖った芯の部分を上にして戦う意志を示す。まさに「ペンは剣より強し」である。
「ペンは剣より強し」はイギリスの劇作家ブルワー・リットンの言葉。日本では福沢諭吉によって広まったと言われる。彼が創設した慶應義塾大学は、ふたつのペンが交差した図柄がシンボルマークになっている。慶応義塾大学の公式サイトにはこんな説明がある。
“明治18年(1885年)ごろ、塾生が教科書にあった一節「ペンには剣に勝る力あり」にヒントを得て帽章を自分たちで考案したことからはじまり、その後多数の塾生・塾員の支持を得て公式な形として認められ、今日に至っています”
明治18年ごろ、「ペンには剣に勝る力があり」の言葉がインテリ層の間では広がっていると考えると、新聞記者である横沢も大いに感化されたとも考えられる。
明治5年に初版が出版された福沢諭吉の『学問のすゝめ』には有名な「天は人の上に人を造らず、 人の下に人を造らず」の言葉がある。だからこそ学ぶことが肝要であると説いているのだ。
福沢諭吉が説いたのは、身分ではなく学びによって人は道を切り開けるという考え方だった。これが当時の日本人の心を動かした。
ドラマを通して日本の歴史を振り返ると、いまこそ、学ぶことの必要性を感じる。人の上に立つ人ほどよく学び、豊富な知識をもっていてほしいものだ。







