たとえば福袋を考えてみましょう。中身は売り手が自由に選べるため、当然ながら利益が出るように設計されています。つまり、消費者が価格的に必ずしも得をしているとは限りません。

 さらに、そこには「選ぶ手間を代わりに引き受けてもらう」というコストも含まれているでしょう。選ばない消費を認識する上では、こうした「選ぶことに対する対価」も、目には見えにくいかたちで含まれていると考える必要があります。

自分で選ばない便利さにも
見えないコストがかかる

 この構図は、近年注目されている社会や環境に配慮した「エシカル消費」(編集部注/価格の安さよりも人権や地球環境などに配慮した商品を優先的に購入する消費行動)とも通じるところがあります。

『選ばない消費 AI時代の暮らしと価値観』書影選ばない消費 AI時代の暮らしと価値観』(久我尚子、集英社)

 エシカル消費の例であるフェアトレードの製品は、生産者にこれまで支払われていなかった対価を支払うという考え方に基づいており、価格にもそのぶんが上乗せされています。

 同じように、選ばない消費においても、「選ぶ」という手間を肩代わりしてくれる存在がいることを意識すると、その行為には見えないコストが発生していると考えることができます。

 私たちは、選ぶことを面倒だとも感じています。選ばない消費は、そうした面倒を避けることができますが、その行為を他者にゆだねているぶん、対価をどこかで支払っているともいえるでしょう。それでも「いや、そんな支払いはしていない」と感じる方もいるかもしれません。

 確かに、おすすめ機能などを使う際に、直接お金を払っている感覚はないでしょう。でも、その背後には、選択を最適化してくれるための仕組みが働いていて、それに対する対価は私たちの消費行動がデータ化されるなどして、見えにくいかたちで巡り巡って私たちの支出となっていると考えるべきではないでしょうか。