【ベスト経済書2026・トップ2著者対談/前編】『物価を考える』『日本経済の死角』著者2人が激論!日本の賃金と物価が上がらなかった元凶は?Photo:Kuninobu Akutsu、Katsumi Murouchi/gettyimages

長く動かなかった日本の物価と賃金は、なぜようやく上昇し始めたのか。特集『ベスト経済書2026』(全10回)の#3では、トップ2に選ばれた『物価を考える』の著者渡辺努・東京大学名誉教授と、『日本経済の死角』の著者、河野龍太郎・BNPパリバ証券経済調査本部長兼チーフエコノミストが、物価、賃金の面から日本経済停滞の“元凶”を解き明かす。(構成/ダイヤモンド編集部編集委員 竹田孝洋)

デフレが継続した背景にある
動かない物価と賃金

――『物価を考える』を書かれた動機について教えてください。

渡辺努 2022年のベスト経済書で1位になった著書『物価とは何か』では、日本のことを考えるというよりも、物価やインフレを研究者がどのように見ているのかを紹介することが目的でした。

 その後少しずつ、日本の物価の現状について自分の方法論を当てはめるということを始めました。その作業の最初のアウトプットが今回の本です。

 理論面のポイントとして強調したかった点が二つあります。

 一つは、「屈折需要曲線」が日本のデフレの本質であるということ。もう一つは、賃金・物価スパイラルです。この二つがこの本のコアだと思っています。この2点を訴えたくてこの本を書いたと言っても過言ではないです。

――屈折需要曲線と賃金と物価のスパイラルについて説明していただけますか。

【ベスト経済書2026・トップ2著者対談/前編】『物価を考える』『日本経済の死角』著者2人が激論!日本の賃金と物価が上がらなかった元凶は?渡辺 努(わたなべ・つとむ)/1959年生まれ。東京大学経済学部卒業、ハーバード大学Ph.D.(経済学専攻)。日本銀行、一橋大学経済研究所教授、東京大学大学院経済学研究科教授等を歴任。現在ナウキャスト創業者・取締役、東京大学名誉教授。著書に『物価とは何か』(講談社選書メチエ)、『世界インフレの謎』(講談社現代新書)など。Photo by Yoshihisa Wada

渡辺 普通の需要曲線は右下がりの直線です。一方、屈折需要曲線は、価格を上げたときに、急速に需要が減少する形で曲線が屈折しているものです。価格が動かない状況がなぜ起きるのかを説明するときに使われる理論です。それが日本のデフレにも当てはまるんじゃないかということを、私を含む何人かの研究者が考えてきました。

 賃金と物価のスパイラルについても説明しましょう。例えば、現在のようにイラン紛争が起きて原油価格が上がり物価も上昇していくと、企業は賃金を上げます。そうすると今度は賃金が上がったことが原因で物価が上がることになります。このように賃金と物価が相互に参照しながらスパイラル的に上がってしまう現象です。欧州のように労働組合の強い地域では起きやすいといわれています。1970年代には日本を含む各国でこういう現象が起きており、さまざまな研究が進んでいます。

 70年代のインフレということではなくて、デフレから日本が脱却する過程で、そのロジックが使えるのではないか。あるいはデフレの最中でなぜ物価が動かなかったのか、賃金が動かなかったのかについて、そのロジックで説明できるのではというのが私の考え方です。それを本の中で説明しました。

――ビジネスパーソンが読んでためになるところは。

渡辺 今申し上げた2点の理論的な話は、ビジネスパーソンにとっても大事だと信じています。なぜかというと、何かの現象を説明するときに、それに合うような理屈を考えるということは比較的容易にできます。しかし、それでは常に新しい理屈でパッチワーク的に起きたことを後追い的に説明することしかできなくなります。

 やはり、しっかりとした視座を持つべきです。経済学の理論はそういう視座を提供する面があると思います。ですから、ビジネスパーソンの方々にもこうした理論を理解していただきたいです。

 本の中ではインフレが続く必然性についても書いています。日本のインフレは22年春に始まりましたが、当時は「インフレは一過性」との見方が圧倒的多数でした。その後、だいぶ減ってきたものの、この本を書いた24年当時でも、インフレは一過性という見方がまだ残っていました。エコノミストで当初からインフレの持続性を認識されていたのは河野さんだけだったように思います。

河野龍太郎 ありがとうございます。

【ベスト経済書2026・トップ2著者対談/前編】『物価を考える』『日本経済の死角』著者2人が激論!日本の賃金と物価が上がらなかった元凶は?河野龍太郎(こうの・りゅうたろう)/1987年横浜国立大学経済学部卒業。住友銀行(現・三井住友銀行)、第一生命経済研究所(現・第一ライフ資産運用経済研究所)を経て、2000年BNPパリバ証券。23年より東京大学先端科学技術研究センター客員上級研究員、25年より同大学客員教授。主な著書に『成長の臨界 「飽和資本主義」はどこへ向かうのか』(慶應義塾大学出版会)。 Photo:Y.W.

渡辺 経済界の方からお話を聞いても、インフレは長続きしないという方が多かったですが、それは違うということを一貫して書きました。私は、世界の政情不安定が続く中で、今回のイランを巡る紛争のようなショックが今後も形を変えて起き、それに刺激される形でインフレが相次ぐとみています。ビジネスパーソンもインフレが続くということを前提に、自身の生活なりビジネスを考えるべきだと強く思います。

――渡辺先生の著書に対して河野さんはどうお考えですか。

河野 渡辺先生は長く屈折需要曲線を基に、物価についてのお話をされていました。私もそれを基に、ゼロインフレ期のなかなか上がらない日本の物価の動きを説明してきたのですが、今回先生の本を読んで、なぜ日本の個々の企業が価格を上げないのか、理論的にうまく説明されているな、と改めて感じました。

 また、先生が「ゼロインフレ・ノルム」という言葉を使われ始めたのですが、その言葉は人口に膾炙するようになり、金融市場関係者やエコノミストにも大きな影響を与えています。

物価が動かなかった背景には、企業の価格据え置きと賃上げ抑制があった。次ページでは、渡辺氏と河野氏が日本経済の長期停滞の要因を物価、賃金の在り方から掘り下げる