イノベーションを阻んだのは
高齢者ではなく非正規雇用だった
ここでさらに彼らの問題意識についても考えてみよう。日本社会のイノベーションが遅々として進まないという点だ。実はここにもネオリベラリズム、それも日本特有のその展開による格差の問題が関係している。雇用の格差という問題だ。
やはり1980年代半ばから雇用の自由化が進められてきた結果、とくに1990年代後半以降、非正規雇用労働者が急増し、「正規」と「非正規」との間の格差が固定されてしまった。
非正規雇用労働者は人的資本として十分な扱いを受けず、教育の機会を与えられなかったため、労働生産性を高めることができず、その結果、そうした労働者によって担われる、生産性の低い部門が日本全体で拡大することになる。
2017年の厚生労働省の調査によれば、1995年から2015年までの間にアメリカでは、「高スキル職」の就業者が24.2%増加し、「低スキル職」の就業者が7.8%増加したが、日本では前者の増加率が18.4%だったのに対して、後者の増加率は140.4%にも及ぶ。
また、日本の「低スキル職」に非正規雇用労働者が占める割合は、1997年の28.0%から2012年の52.3%へと大きく上昇している。
いわゆるIT革命が進行し、イノベーションの中核を担うべき場であるIT産業に人材が集まらなければならなかったときに、日本では非正規雇用の急激な拡大により、生産性の低い部門ばかりが肥大し、高い部門が十分に成長することができなかった。実際、1995年から2015年までの間にアメリカではIT産業の就業者が95.1%増加したが、日本の増加率は41.7%に留まっている。
こうした事情がデジタル化への対応の遅れを招き、イノベーションが遅々として進まないという体質の一因となったのではないだろうか。
『曖昧な弱者の時代』(伊藤昌亮、岩波書店)
このようにネオリベラリズムの政治、それも一部の富裕層に加えて正社員ばかりを大事にするような日本特有のその展開は、貧富の格差を拡大するとともに雇用の格差を固定することで、日本社会の中から公平性を奪い、さらに成長力を奪ってしまった。
だとすれば、そうした体制のいわば被害者である「ニューなわれわれ」がネオリベラルな考え方を強く信奉しているという状況は、矛盾したものだと言わざるをえないだろう。自らの苦境を生み出すもとになった体制を熱心に応援していることになるからだ。
ましてや高齢者やマスメディアなど、叩きやすい敵をいくら叩いてみても、元来の体制の批判にはならない。そうして感情的になるのではなく、むしろ複雑さを複雑さとして捉えたうえで批判を展開していくことが、彼らには求められているのではないだろうか。







