「見る」がおろそかでは、
「答え」や「問い」の力が発揮されない

自分が発したメッセージに多くの方が共感してくださったのは、とてもうれしい体験でした。新たな価値を生み出す「アーティストの思考プロセス」が役に立つ場面は、たくさんあると思っています。

しかし、いただいたご依頼に応えて幾度も「教壇」に立つなかで、私のなかには小さな疑問が生まれてきたのです。

「自分なりの答え」以前にある「自分だけのものの見方」とは、いったいなんだろう?
そもそも、「自分なりの答え」はなんのために必要なんだっけ……?

思い返せば、前著『13歳からのアート思考』では、アーティストたちが生み出した作品や、彼らが探究した興味・疑問に焦点を当てるあまり、それ以前に「アーティストたちが世界をどう“見て”いるのか?」について十分に扱いきれていなかったように思います。

しかし、世界をどう見るか」というレンズが一様であれば、捻り出した答えや問いは、どこかとってつけたようなものになってしまうのではないでしょうか?

また、なぜ「自分なりの答え」が私たちに欠かせないのかについても、社会や時代の要請だけではない、人間にとっての意義を原点に立ち返って問い直す必要を感じるようになりました。

だからこそ、本書『感性の教室』は、本来的な意味で『13歳からのアート思考』の前日譚だと言えます。前作を読んでくださった方にとっては「その続き」というよりも、むしろもう一度「はじまり」に立ち戻るような読書体験をしていただけることでしょう。

また、本書から手に取ってくださる方にとっても、「アーティストのように考える」ことの入口として、ゆるやかにつながっていくはずです。