『崇禎』の表紙イラストに描かれた縄は、この故事に由来する。真面目な学術書を多くの一般読者の手に取らせるべく、頭をひねった出版社の苦労がしのばれる。

 だが、これは現代中国では政治的に不適切なメッセージだった。「政務に励む」のに失策を繰り返し、民を苦しめて国を傾かせる皇帝というイメージは、どこかの誰かを想起させなくもないからだ。

 習近平政権は2021年ごろまで、統治の成功と中国の強国化による「盛世」の実現を誇っていた。だが、党内の慣例を破って政権第三期に踏み込んだ2022年秋ごろから、ゼロコロナ政策の失敗や景況の悪化など、打つ手が裏目に出ることが増えている。

 なにかと上の意向を忖度しがちな検閲担当部門としては、すこしでも習近平の権威を傷つけかねない言説は、たとえ380年ほど昔の皇帝の話であっても容認できないと判断したようである。

習近平の反腐敗運動と
洪武帝が重ねられた

 明は「地味」な王朝だが、時代が比較的近いだけに、漢や唐などと比べて国家行政や社会のありかたに現代中国と相通じる部分が多い。

 そのため、目下の政治課題の参考を明代の事件に求めたり、明代の人物に仮託して政治的批判をおこなったりする(もしくは権力者側がそのように解釈する)例も少なからずある。1960年代に文化大革命の導火線になったのも、明の嘉靖帝の臣下だった官僚・海瑞を主人公とする京劇の戯曲『海瑞罷官』に対する批判論文だった。

 現在の習近平体制でも、たとえば政権初期の2014~2015年ごろ、国営通信社の新華社や党機関のニュースサイトなどで、洪武帝の話題が盛んに言及された例がある。

 ここで注目を集めたのは「洪武反貪」。すなわち、明の建国直後に洪武帝がおこなった腐敗摘発政策だ。

 背景にあったのは、当時の習近平が推し進めていた党内の腐敗摘発キャンペーンである。

 当時、習近平は「虎も蝿も叩く」(大物も小物も罰する)を合言葉に、前代の江沢民・胡錦濤政権下で極度に拡大していた官僚腐敗を徹底的に攻撃。2013年から2016年末までに100万人以上を摘発し、そのなかには党の前政治局常務委員の周永康、人民解放軍の高官である徐才厚や郭伯雄、前統一戦線部部長の令計画など、省・部級以上の大物党幹部も200人以上が含まれた。