父だけでなく、兄をも亡くしたリョータが、どのように母、そしてバスケと関係を築くのか。この点が映画のひとつの重要なカタルシスを生んでいる。

 そして凪良ゆうの小説『汝、星のごとく』は、本屋大賞も受賞し、2023年を代表するベストセラーとなった。昨今「毒親」と呼ばれるような、子どもを傷つける親との関係を描いた小説である。

 主人公・暁海の父は浮気をして家を出て行った。そのため彼女は母とのふたり暮らしになってしまった。一方、最近暁海の住む島にやってきた櫂もシングルマザーの家庭で、彼の母は男性に依存している。父のいない家庭で、母をケアする高校生のふたりが、支え合ううちに惹かれていく、というのが序盤の展開である。

『【推しの子】』『THE FIRST SLAM DUNK』『汝、星のごとく』という2023年のエンタメ界を席巻した3作品は「シングルマザー物語」なのだ。2023年のエンタメ界において、父は不在だった。

夫婦の絆よりも親子愛が
重視されてきた日本社会

 問題はここからだ。あなたはこの事実に今まで気づいていただろうか?ぶっちゃけ私がここで強調しないと、「父は不在である」という状況に気づかなかったのではないだろうか?

 つまり私たちはシングルマザーの物語に慣れ切っている。

 考えてみれば、日本には「父の日」も「母の日」も存在するのに、「夫の日」「妻の日」は存在しない(もちろんパートナーのいない人がいるからだ、と私も考えたのだが、それを言うならシングルマザー、ファザーの人もいるのだよな、と思うのである)。

 これは子どもを持つと両親は「夫婦」ではなく「父母」になる、という自意識が強くなるからだろう。しかしそれはある意味、家族という共同体において「夫婦」というヨコの関係に自分を位置づける意識よりも、「親子」というタテの関係に自分を位置づける意識のほうが強い、という解釈も可能であろう。

 だとすれば、このような問いに転換することができる。

 日本ではなぜ、夫婦の絆よりも、親子の絆のほうが強いのだろう?