――つまり、アイのなかで前提となるのは「愛のなかでもっとも強いものは母性愛である」という認識なのである。

 アイの口から、たとえば「恋をすれば 誰かを愛せると思った」とか「結婚すれば 夫を愛せると思った」とか、そんな言葉は出てこない。「母親になれば 子供を愛せると思った」という台詞が、第1巻の骨子なのである。

『【推しの子】』の根底には、母性愛が前提として敷かれている。その「母」と「子」の愛情の交歓は、転生というギミックを採用することで、「推し」と「ファン」の愛情の交歓へと曖昧に転換される。

 つまり、「母」アイと「子」アクアとルビーの愛情は、「推し」と「ファン」の愛情に転換される。そしてそれは本作における普遍的な「本物の愛」の形として描かれるのだ。

 ここでは「本物の愛」は決して男女の恋愛や夫婦の愛情ではない。母と子の愛情なのである。

「母の愛」こそ本物だと
信じる時代が生んだ物語

 補足しておくと、アイは基本的に愛情の経験が乏しいキャラクターだ。そのため愛情=母性愛と結びつけられるのはアイというキャラクターに限定されることであり、それを時代性に拡張するのは安易すぎる、と批判することは可能である。

 しかし、それでもやはり現代においてこの作品が広く強く受容されている理由を、私は考えざるを得ない。『【推しの子】』において、「恋」や「結婚」よりもずっと強く、素朴に、「母の愛」は「本物の愛」として信仰されている。

『「夫婦」不在社会』書影「夫婦」不在社会』(三宅香帆、講談社)

 ちなみに、アイが男性アイドルだったら同じような物語が成り立っていただろうか?こう考えると、やはり「母性愛」信仰というものの存在に思い至ってしまう。

 このように現代ではおそらく、母から子に向けられた愛は絶対視され信仰されている(それは結婚や恋愛が信仰されなくなった時代に、ほとんど唯一信仰し得る愛情なのかもしれない)。しかし、だからこそむしろ子を愛さない母は、今最も人々に「痛みを与える存在」として立ちはだかる。

 それは『汝、星のごとく』がベストセラーとして広く読まれている理由にも繋がる。

『汝、星のごとく』はただのラブストーリーではない。母という、最も自分を愛してくれるはずの存在に愛されなかったふたりが、お互いを愛し合う物語だからこそ、現代の読者の心を打つのだ。