その理由を考えるには、まず誕生の経緯に立ち返る必要がある。1965年、創業間もないランボルギーニの開発部門で、若いエンジニアたちが休み時間の議論からひとつの構想を捻り出す。テーマは、当時ようやくロードカーに応用され始めたミッドシップ・レイアウトを、自社のV12エンジンで成立させられるかどうか、だった。
議論を主導したのはジャンパオロ・ダラーラ。フェラーリやマセラティを経て新興ランボルギーニに移ったこの若き技術者は、巨大なV12を積み、レーシングカーのように走り、しかもロードカーとして成立する新しい高性能車を夢見た。
12気筒ミッドシップ車をロードカーとして成立させるうえで最大の障害は全長だった。そこでダラーラたちは400GT用4L・V12をミッションと一体化して横置きする案にたどり着く。
その構想は1965年11月のトリノショーで、ローリングシャシー、TP400GTとして披露された。ボディすら持たないシャシー単体が大きな反響を呼んだのは、それが単なる技術展示ではなく、ランボルギーニの未来に見えたからだろう。
フェルッチョ・ランボルギーニはただちに市販化へ舵を切る。熱狂をチャンスに変える判断の速さに、彼の実業家としての鋭さが表れている。
スタイリングを担ったのは、ベルトーネの若き天才マルチェロ・ガンディーニ。彼は流麗な美しさと、最新ミッドシップ・シャシーの緊張感を、ほとんど奇跡のような均衡でひとつにまとめ上げた。そうしてわずか3カ月ほどで完成させ1966年3月に発表されたのがミウラである。
扱いやすさの先にある深世界。
ミウラには多くの顔がある
ミウラを真横から見ると、まるでFRクーペのようだ。MRにはまるで思えない。どこにエンジンが収まっているのか直感させないほど自然で、その意外性こそが造形を特別なものにした。先鋭的な技術を古典的な美の文法で包み込んだ点に、ミウラの決定的な新しさがある。
ミウラは生まれた瞬間から“古典”になる運命を持っていた。後にカウンタックが登場すると、一時は古く見えた。だが、その価値はむしろ明瞭になったというべきだ。
その本質を体感する機会を得た。ところはダラーラの故郷であり、レーシングカーコンストラクターとして著名なダラーラ・アウトモビリアのあるヴァラーノ。幸運にもミニサーキットで本社のポロストリコ部門が仕上げたミウラSVのステアリングを握ったのだ。







