これは、「死が怖い」というときの怖さが、高齢者と若い人とで異なることを示しています。
高齢者も死を怖いと思ってはいますが、同時に「自分もそう遠くないうちに死ぬだろう」とも思っています。そこで死を遠ざけるのではなく、エンディングノートを書いてみたり、遺言書を作成してみたり、終活セミナーに参加してみたりと、その場に臨んで慌てないように危機管理にいそしみます。
その一方で、あまり深刻に考えすぎないように、無意識のうちに心理的な危機管理も行っていて、その現れの一つが「ピンピンコロリ」願望です。
死に臨むとき、多くの人が嫌だと思うのが苦しむことです。「痛みで苦しむ」「家族や周囲の人に迷惑をかけることで苦しむ」が、苦しみの2大要素だと思いますが、自分がどのような死に方をするかは、わからないし選べない。
それならば、深刻になっても仕方がない。多分それほど壮絶な死に方ではないだろうと楽観的に信じて、「ピンピンコロリがいいね」と気楽に、自分を追い込まずに生きていく。そんな姿勢が身についているために、死をひどく怖いとは思わなくなるのでしょう。
楽観的であること、深刻にならずにユーモアのある生活を送ることは、人が生きていく上でとても大事なことです。フランクルの「一見絶望的で逃れる途が見えないような状況においても、ユーモアはその事態と自分との間に距離をおかせる働きをする」という言葉のように、高齢者の場合も楽観性が死と自分との間に距離を置かせてくれるのです。
高齢者は時間を超えて
内面世界に生きている
高齢者が死をひどく怖いと思わない理由は、楽観性だけではありません。「老年的超越」もまた関わっています。
老年的超越とは、人の心理社会的発達の最終段階で、「経験を超えた超越的な心境に至り、先祖や亡くなった人たちとのつながりを感じるようになったり、過去から未来までずっと続く宇宙の中に自分も存在していると感じたりするようになること」であり、「物質的で合理的な世界観から、精神的で非合理的な世界観への変化」です。







