医師と看護師が高齢患者と笑顔で話す診察風景写真はイメージです Photo:PIXTA

人生の最期をどの病気で迎えるかは、自分では選べない。数多くの患者を看取ってきた医師は、「病気ごとの最期」をどう見ているのだろうか。※本稿は、老年心理学者の佐藤眞一『お医者さんはなぜ「がんで死にたい」と言うのか?超長寿時代の老いと死を考える』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。

人間は死を背負って
生きている

 私は最近パスカルの『パンセ』を読み直しました。有名な「人間は考える葦である」がどのような意味か確認したかったからで、その部分は以下のように記されています。

「考えが人間の偉大さをつくる。

 人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。

 だから、われわれの尊厳のすべては、考えることの中にある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だからよく考えることを務めよう。ここに道徳の原理がある」(前田陽一・由木康訳、中公文庫、1973年)

 人間は自然界ではとても弱い存在だけれど、空間や時間という物理的環境から解き放たれて「死を視野に入れて生きる」ことができ、そのことこそが人間を人間たらしめる特性である。そのようにパスカルは考え、「人間は考える葦である」と表現したのでしょう。