なぜこのような変化が起こるかというと、高齢になると人との付き合いが減って外界への関心が薄れ、一人でいる時間が増えて、自分の内面に注意が向くことが多くなるためだと考えられます。

 自分の内面にあるものとは記憶ですが、過去のシーンが脈絡なく蘇ったりするように、記憶は時間の流れを超越しています。また、記憶は必ずしも事実ではなく、変容していて、経験をも超越しています。そして、このような時間も経験も超越した世界では、自然との一体感や先祖との一体感といったスピリチュアルな感覚が、違和感なく共存できます。内面世界に生きるとは、非合理の世界を生きることなのです。

 そのことを理解せず、若い人たちが高齢者を自分たちの論理的世界に引き戻そうとしても、うまくいきません。

 ある経済団体の金融ジェロントロジー(老年学)の研究会に呼ばれていったときの話です。金融ジェロントロジーとは、高齢者が認知機能の低下によって消費、資産管理・運用などの経済活動に支障をきたした場合、どのように支援するか、どのようなサービスや制度が必要か、といったことを研究する学問です。

 なぜ私が呼ばれたかというと、証券会社などが金融商品を販売する際には、内容をきちんと説明して同意を得た上で販売しなければなりませんが、一旦売買が成立した後で、家族から「認知機能が低下しているから、契約を取り消してほしい」と言われることが多いのだそうです。そこで高齢者と会って話しているときに、認知機能の低下を察知できる方法はないものかということで、日常会話で認知機能の評価ができるテスト「日常会話式認知機能評価 CANDy」を作った私に白羽の矢が立ったのです。

 開口一番彼らが言ったのは、「認知機能が低下すると非論理的になる。それをなんとかしたい」ということでした。私は「ちょっと待ってください」と、彼らを制しました。

「認知症の人には認知症の人なりの論理があるし、合理性がある。それを勘違いすると、間違えますよ」と。