たとえば、こんな気持ちになったことはないでしょうか。
精緻なデータを集め、論理の隙を一つひとつ埋め、これ以上ないほど「正しい」提案を会議に持ち込んだ。議論の場では誰からも反論されず、むしろ「ぐうの音も出ない」ほどに相手を納得させたはずだった。
しかし、会議室を出て、日常の業務に戻ってみると、事態は1ミリも進んでいない。相手はどこかよそよそしく、昨日までの熱量は霧散している。
あるいは、帰り道の夜風に吹かれながら、言いようのない空虚さを感じたことはないでしょうか。
「あの場で、自分は正しいことを言った。間違っていない。なのに、なぜ誰も笑っていないのか。なぜ、誰も走り出そうとしないのか」
これは、いつかのあなたであり、そして、かつての私自身でもあります。
ダメダメ銀行員だった20代の頃の私は、自分自身の意志や弱さを表に出すことを恐れ、日々をやり過ごすことに必死でした。だからこそ、せめて言葉だけは「正論」という鎧で武装しようともがき、しかしその理論武装さえままならず、空回りをしていました。自分の言いたいことをベラベラ喋っているだけの状態は、今振り返れば、伝え手として「未熟者の極み」そのものの姿でした。
正論を説き続けるだけでは
人を動かすことはできない
私たちは、「正しいことを伝えれば、人は動く」と教えられてきました。特にビジネスの世界では、ロジックこそが正義であり、感情を排することこそがプロフェッショナルの証である、と。
しかし、現実はどうでしょうか。情報の正しさが飽和し、AIが数秒で「100点に近い正解」を弾き出す現代において、情報の「精度」だけで人を動かせる時代は、もう終わりました。
今の世の中、SNSを開けば誰かが誰かを「論破」し、知的なマウントを取る光景が溢れています。しかし、私は断言します。「論破」で人が心から動くことは、万に一つもありません。







