言葉を自動生成する時代に
人間も「オーラ」を失っていく
テクノロジーの進展にともなう言葉の匿名化についてハイデガーの同時代人であるドイツの思想家・文芸批評家ヴァルター・ベンヤミン(1892年~1940年)に一言触れておきたい。
ベンヤミンは、19世紀末のパリやベルリンといった都市における大衆の匿名化に関心をもっていた。彼は映画や写真といった、新しい技術と芸術の融合の意味について考えつづけていたが、ユダヤ人だったためにナチスに追い詰められ、服毒自殺した。
ナチスを逃れた亡命先のパリで書いた作品に「複製技術時代の芸術作品」(1936年)がある。そこでのベンヤミンは、工業化にともなう加速によって芸術作品からオーラ(アウラ)が喪失したと主張した。
写真の発明によって、オリジナルの絵画を無際限に複製できるようになった。写真を印刷した絵画の画集を手にする鑑賞者は、オリジナルの作品にアクセスするために美術館まで足を運ぶ距離と時間を省略できるようになる。と同時に、オリジナル作品が唯一のものである芸術作品は、「いま・ここ」にしかないという一回性を失う。
さらに写真芸術の場合は、何枚も複製できるのでオリジナルという概念がなくなる。1枚しか存在しない作品のありがたみは、そこにはもうない。絵画のタッチや絵の具の質感といった、キャンバスの物質性に由来する一回性も失われる。
《ここで消え去ってゆくものを、オーラという概念でとりまとめ、次のように言うこともできるだろう。芸術作品が技術的に複製可能になった時代に力を失っていくものは、芸術作品のオーラである、と。(「技術的複製可能性の芸術作品」302頁)》
ベンヤミンは写真芸術を題材にとって芸術作品における唯一性の喪失を考えた。このとき写真という複製技術は、工業社会全体の効率化と加速のメタファーとなる。つまり、写真というものが複製されるだけでなく、写真に写る人物の個別性もまた失われる。
テクノロジーによって加速していく社会は、個別性を失わせる。コピペやテンプレが普及し、AIに文章をつくってもらう時代には、言葉とともに書き手の個別性がすり減っていくのだ。







