この発言は、自民党の参議院議員、鶴保庸介氏のものです。問題となった発言は「また運のいいことに、能登で地震があったでしょ。」の部分です。なぜ能登で地震があったのが運のいいことなのか、この点に批判が集まりました。

 鶴保氏のこの発言は和歌山市内の応援演説のもので、県外志向の強い和歌山県の若者に、東京や大阪などの大都市と和歌山県との二地域居住制度を設ければ、和歌山県の人口の県外流出率を下げられるという文脈で発言されたものです。「チャンスです」と語っているのもその意図であり、もとより能登の住民を貶める意図はなかったと思われます。

 しかし、aikoさんのものとは明らかに質が異なります。その前後の文脈を見ても、被災された能登の方への共感の眼差しも、被災地の惨状への配慮も不足しているように感じられるからです。その直後でも、「たま、何だっけ。能登半島の北」と、石川県珠洲市の読み方を間違えたとも伝えられており、そこに垣間見える無関心さも現地の怒りを招いたようです。

『本物の読解力』書影本物の読解力』(石黒圭、SBクリエイティブ)

 失言をする政治家は、自己の失言にたいして謝罪をすることは多いのですが、「そうした意図はなかった」という言い訳を添えることが多いのが現実です。もちろん、私たちの側も政治家だから失言したという短絡的な決めつけは避け、当該の表現だけを拾ってきて批判をすべきではありません。あくまでも、前後の文脈を踏まえたうえで、どのような意図での発言か、きちんと検討してみる姿勢が大事です。

 しかし、文脈を吟味した結果、やはり問題発言であったならば、「そうした意図はなかった」という言い逃れを追及する姿勢が私たち市民にも求められるでしょう。前述の失言には、被災した住民の無事よりも、二地域居住制度の導入を優先する姿勢が、暗黙の前提としてあるように思われます。

 被災地を貶める意図があったかどうかが問題なのではなく、話し手の認識のあり方そのものが問題となっているわけです。こうして考えてみると、意図にたいする捉え方自体が再考を迫られそうです。