新しいことに挑もうとしながら、最初の一歩がどうしても踏み出せない。そんな自分を臆病だと責めている人は少なくないだろう。だが、ピーター・F・ドラッカーが名著集5『イノベーションと企業家精神』に書き残したのは、成功した企業家ほどリスクを取らないという観察だった。動けなさの正体がどこにあるのかを、41年前の記述から問い直してみよう。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)

ドラッカー イノベーションは保守的

新規事業が育つのは1割

 新しい事業を任された。構想を語り、資料もそろえた。それなのに、最初の一歩がどうしても踏み出せない。

 新規事業に限った話ではない。異動先での新しい役割でも、転職の決断でも、同じことが起きる。

 PwCコンサルティングが2025年に約1000社を対象として実施した「新規事業開発の取り組みに関する実態調査」によれば、目標としていた主力事業にまで新規事業を育てられた企業は、全体の1割に満たない。到達できたのは、超大手企業でも17.1%である。

 つまり、ほとんどの会社がうまくいっていない。それでもこの数字を前にすると、多くの人は動けないのは自分が臆病だからだと考えてしまう。

 1985年、いまから41年前に刊行された『イノベーションと企業家精神』には、この受け止め方をまるごと裏返す観察が記されている。それは第11章の、ごく短い終わりの部分にある。

「もっと打席に立て」の壁

 1割という数字から導かれる結論は、たいてい決まっている。成功する確率が1割なら、10回試せばよい、というものだ。

 多くの案件を同時に走らせ、見込みのないものは早く止める。失敗した担当者を責めない文化をつくり、とにかく打席の数を増やす。もっと挑戦を、もっとリスクをという号令は、いまや新規事業の現場の定番になっている。

 この考え方には確かな合理性がある。結果が事前に読めない領域では、試行の回数を増やすこと自体が有効な戦略になるからだ。実際、その方針で成果を上げた組織もある。

 それでも、号令は現場で空回りしやすい。失敗してもいいと言われた側が、では何をどう見極めればいいのかを教わらないまま、判断の重さだけを引き受けることになるからである。

企業家は冒険をしない

 ドラッカーは本書の第11章の終わりに、ある大学のセミナーの光景を書き残している。企業家精神をテーマにしたその場で、心理学者たちの意見は一つの点で一致していた。企業家的な資質とはリスク志向である、と。

 まとめの段階で、実際に事業を築いた企業家がコメントを求められる。プロセス上のギャップを機会としてとらえ、25年で世界的な事業に育てた人物である。

 彼は戸惑いを口にした。大勢の企業家やイノベーターを知っているが、その中に、世間で言ういかにも企業家らしいタイプの人には一人も会ったことがない、と。本書によれば、彼が挙げた成功者たちの共通点はただ一つ、リスクを冒さないことだった。みな、冒してはならないリスクを明らかにし、それを最小限にしようとしているというのである。

 自分がもしリスク志向だったなら、不動産や商品取引をしていたか、母が望んだように画家になっていただろう。その企業家はそこまで述べたと本書は伝える。

 ドラッカー自身の経験も同じだった。彼らの中にリスク志向の人はいないと述べ、通俗心理学とハリウッド映画がつくった企業家像を、スーパーマンと円卓の騎士を合成したようなものだと書いている。

リスクを求めて飛び出すよりも時間をかけてキャッシュフローを調べる。

――『イノベーションと企業家精神』より

励ましが効かない理由

 では、成功した人たちの何が違ったのか。本書は、リスクの大小ではないと述べる。どこまでリスクを明らかにし、小さくできたか。どこまで機会を体系的に分析し、的を絞って利用したか。その度合いによって成功の度合いが決まるというのが、ドラッカーの整理である。

 これは打席の数の話ではない。打席に立つ前に何を調べたかという話である。彼らが慎重に見えるのは、勇気が足りないからではなく、測ったうえで動いているからではないだろうか。

イノベーションに成功する者は保守的である。保守的たらざるをえない。

――『イノベーションと企業家精神』より

 この見方に立つと、挑戦しろ、失敗を恐れるなという励ましが何度繰り返されても効かない理由も見えてくるのではないだろうか。励ましは受け手の心理に働きかける。

 しかし動けずにいる人に欠けているのは、度胸ではなく、目の前の話が機会なのかどうかを測る方法のほうかもしれない。だとすれば、問題は心理ではなく方法の側にあることになる。

 ドラッカーが第11章を閉じるにあたって選んだのは、彼らはリスク志向ではない、機会志向である、という一言だった。臆病さは、企業家から取り除くべき欠点ではなかったのかもしれない。