わたしたちの身体は「予期」に強く反応する。良いことが起きると信じていれば、エンドルフィンなどの鎮静物質が脳内で産生され、偽薬であっても鎮静効果が生じる(プラセボ効果)。その反対に、悪いことが起きるにちがいないと信じていると、やはり予期に合わせて身体が反応し、頭痛や関節痛、倦怠感、痙攣(けいれん)などの症状が出る(ノセボ効果)。

 新型コロナワクチンの場合、ランダム化された臨床試験で、プラセボ効果だけでなくノセボ効果も検証された。大規模なメタ分析によると、副反応の76%は(「ワクチンを接種した」と信じているだけで偽薬でも副反応が起こる)ノセボ効果で説明できるという。

【参考記事】
●ワクチンの「副反応」はなぜ増える? 病気への不安が本当に症状を引き起こす「ノセボ効果」の正体

 ワクチンを接種したあと副反応が起きても、統計的には、4件のうち3件は心因性のものだ。しかしこれは、4件のうち1件はワクチンによる副反応ということになる。問題は、両者を区別するのがきわめて難しいことにある。

 頭痛や倦怠感など大半の副反応は軽微なもので、それがノセボ効果であろうがなかろうが、いずれ忘れてしまうだろう。だが一部には慢性化し、仕事や日常生活に支障をきたすこともある。

 これは患者だけでなく社会にも大きな影響を及ぼすが、わたしたちは心因性の病いについてほとんど知らない。医療の世界において、心身症に言及することがある種のタブーになっているからだ。

 神経科医で心因性の病いを専門とするスザンヌ・オサリバンの『ボイコットする身体 脳神経科医が出会った心身症患者たちの物語』(高橋洋訳/紀伊國屋書店)はこのテーマを扱って、きわめて啓発的だ。原題は“It’s All In Your Head; True Stories of Imaginary Illness(すべてはあなたの頭のなか 想像の病いをめぐる真実の物語)。

「異常なし」なのになぜ身体は苦しむのか?心身症が“気のせい”ではない本当の理由心と身体は、神経系を介して密接につながっている イラスト:阿部モノ/PIXTA

原因不明の身体症状「心身症」とは何か?

「心身症」は、医学的な検査では明確な原因が見つからないものの、痛みや炎症などの深刻な症状が生じる(かつては「不定愁訴」などと呼ばれた)。器質的な異常がないのだから、その原因はストレスや環境の負担(貧困など)にあるにちがいないということで、「心因性」とされる。うつ病や神経症と異なり、心身症では症状が内臓や皮膚などの「身体」に表われるのだ。

 ここからはセンシティブな話になるので、まずはオサリバンに従って、言葉の定義を整理しておこう。

「疾患(disease)」は身体の生物学的機能不全のことで、生理的・解剖学的な異常を意味する。身体のどの組織に病理学的症状があるのか、その原因も含めてわかっているので「器質性(organic)」と呼ばれる。

 それに対して「病い(illness)」は身体的・精神的な不調に対する人間の反応で、本人がどう感じているかという主観的な経験を指し、その根底にある病理を前提としない。

「心因性(psychogenic)」はその名のとおり、心に原因のある病いのことで、病理学的な異常が見つからない。これは「医学的に説明のつかない症状(medically unexplained symptoms)」とも呼ばれる。

 がんは器質性の病いで「疾患」だが、心身症は心因性の病いなので「疾患」には該当しない。だがこれは、心身症が「病気」ではないということではない。そればかりか、きわめて重い苦痛や障害を引き起こすこともある。オサリバンが心身症を「想像の病いimaginary illness)」と呼んでいるのは、想像力によってさまざまな身体症状が引き起こされるからだ(逆にいえば、心身症では患者が想像できないことは起こらない)。

「心身症(psychosomatic disorder)」は「psycho(心)」と「somatic(身体)」を合わせた造語で、「disorder(障害)」はうつ病や統合失調症も含め、原因が特定できず症状からしか診断できない病いに広く使われる。問題は診断名に「心」という単語が入っていることで、それがこの病気の印象を悪くしているとして、さまざまな言い換えが試みられてきた。

「機能性(functional)」は「神経系が機能不全に陥っていること、疾患が特定されていないこと」を意味する用語で、器質性ではない症状を表わす。

「身体症状症(somatic symptom disorder)」は心身症から「心」を取り除いて身体(somatic)を強調したもので、器質的な原因が特定できないものの、身体的な症状を引き起こす障害をいう。

「変換症(conversion disorder)」というのは、心の不調が身体に「変換(転換)」されたもので、転換性障害とも呼ばれた。神経症の身体症状症としては、手足の力の低下、痙攣、感覚消失などが典型だ。

 このうち、若い女性にしばしば見られる心因性の痙攣は「解離症(dissociative disorder)」や「解離性発作」と呼ばれる。解離というのは、「心のなかである種の分裂が起こること」「意識ある心が、周りで起こっていることから分離してしまう」ことで、心身症の痙攣は「自分の安全を保つために脳がしばらくシャットダウンする」のだとオサリバンは説明する。

 解離性発作はかつて、「ヒステリー性変換症(hysterical conversion)」ともいわれた。古代ギリシアでは「ヒステリー(hysteria)」は女性に特有の病気とされ、その原因は子宮が体内を動き回るためだと考えられていた。その後、フロイトなどの精神分析が、ヒステリーの原因を幼少期の性的虐待(トラウマ)や性的欲望(父親への性的愛着やペニス願望)としたことで多くの偏見にまみれ、医学用語としては使われなくなった。

 以上をまとめると、「機能性障害」「身体症状症」「変換症」「解離性発作」などさまざまな病名で呼ばれるものは、すべて「心身症」であり、かつての「ヒステリー」なのだ。