世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”出口治明元APU学長。宮部みゆき氏などから絶賛されている出口氏の『哲学と宗教全史』をもとに、哲学と宗教の視点から探る「ソシュールの考え方」とは? ライターの照宮遼子氏が報告する。(構成/ダイヤモンド社・寺田庸二)

【本物の教養】自分の普通を相手に求めてしまう人がソシュールから学べること・ベスト1Photo: Adobe Stock

時間がゴムのように伸びる国

 以前インドネシアで暮らしていた頃、待ち合わせの時間になっても、相手がなかなか来ないことがあった。
 日本で同じことが起きれば、すぐに「遅刻だな」と思ってしまう。約束の時間を過ぎているのだから、相手が時間にルーズなのだと感じていた。

 けれど、インドネシアには「ジャム・カレット」という言葉がある。
 直訳すれば「ゴムの時間」。
 時間がきっちり固定されたものではなく、少し伸び縮みするような感覚を表す言葉だ。
 時計の針は同じように進んでいても、その時間には別の名前がついていた。

ソシュールが考えた「言葉と世界」の関係とは?

 言葉は、ただ物事を表すためだけにあるのではない。
 どんな言葉で表すかによって、ものの見え方そのものが変わることがある。
 この言葉と認識の関係を考えたのが、『哲学と宗教全史』(出口治明著)で紹介されている、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュール(1857~1913)である。

ソシュールはどのように世界を区切るかが、実は一番大切だと気づきました。
区切り方によって世界は変わるのだと考えたのです。
――『哲学と宗教全史』より

 本書では、カツオとマグロを区別する日本語と、それらを「ツナ」と一つにまとめる言語の違いが紹介されている。

 目の前にある魚は同じでも、使う言葉によって、別のものとして見るのか、一つの仲間として見るのかが変わる。
 ソシュールは、私たちが物事をどのように分けて捉えるかに、言葉が深く関わっていると考えたのだ。

自分の当たり前だけで決めつけないために

 名前があるから、私たちは違いに気づくことができる。
 言葉による分類は便利だが、それだけが唯一の分け方ではない。
 自分が当たり前だと思っている分け方も、別の言語では通用しないことがある。

 だから、「普通はこうだ」と思っていることも、使う言葉が変われば、同じようには捉えられないかもしれない。
 ソシュールの思想は、言葉による分類を絶対のものとして扱わない考え方を教えてくれる。