GDPが生まれれば国は経済成長を追い、偏差値が広まれば受験競争が加速する。生成AIの時代には、「AIの賢さ」が新たな価値軸となった。指標は、単に現実を測るための数字ではない。何を重要とみなすかを決め、人や組織の行動を特定の方向へ導く力を持っている。では、なぜ新しい「指標」は社会の当たり前まで変えてしまうのか。そのメカニズムを『概念シフト』から紹介する。
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言葉やシンボル――記号が果たす役割
概念シフトとは、ある対象のイメージが大きく変化し、「既存の当たり前」が、「新しい当たり前」へと塗り替わる現象を指す。この変化が個人にとどまらず、特定の集団や社会全体にまで波及すると、当初はまったく想定していなかったような「新しい現実」が生まれることを指す。
概念シフトでは、言葉やシンボルなどの記号が大きな役割を果たす。
例えば、「GDP(国内総生産)」という指標(記号)の確立は、「国力」の概念をシフトさせた。かつて国力は、領土の広さ、人口、軍事力、保有する資源といった要素で測られていた。しかし、国で生み出される付加価値という経済指標の登場により、国の豊かさは「経済活動の総量」として可視化され、比較可能になった。
その結果、各国政府は経済成長率を主要な政策目標とみなすようになった。GDPの成長そのものが自己目的化することさえある[※1]。
こうした指標が社会で確立されると、人々や組織はその数値を改善することに注意を向け始める。GDPを知れば経済成長を追求し、カロリーを知れば食事をコントロールする。つまり、指標という記号は、人々の行動を特定の方向へ誘導する力を持つ。指標は、当たり前の前提として私たちの思考と行動の枠組みに組み込まれ、概念シフトを生み出していくドライバーとなる。
このように、概念シフトは、企業が生み出す製品など、新しい現象に接触するとともに、現象を認識・解釈するための記号が育ち、浸透することで進行していく[※2]。
概念シフトは不可逆的な変化
概念シフトは、後戻りできない不可逆的な変化を伴う。これは、新しい経験や周囲の環境の変化によって、対象のイメージが大きく変化し、「そうとしか捉えられなくなった」状態を指す。
また、新しくつくり上げられた価値を過去の人に説明してもまったく理解できないようなもの、あるいは、現在の基準に照らし合わせると当時の感覚がまったく理解できないような状態ともいえる。
例えば、日常の出来事をSNSで共有し、他者から反応をもらうことに価値を見出す感覚は、SNS登場以前の人々にはすぐには理解されにくいかもしれない。恋人や結婚相手との出会いがマッチングアプリを通じて生まれることも、かつての感覚からすれば強い違和感を伴うだろう。
概念シフトは、製品や記号の提示によって「物事の見方を変える」「新しい意味を与える」「既存の価値を置き換える」。そのため、新しいコンセプトを備えた製品の創出や新しいマーケットのようなカテゴリーの創出、新しい社会記号をつくるイメージを想起した人もいるかもしれない。
これらは概念シフトとも深く関係する現象だが、必ずしも概念の不可逆的な変化が生じているわけではない。その点で概念シフトとは異なっている。
「不可逆的な変化」の見極めかた
では、何をもって不可逆的な変化が起こったと見極められるのか。それは、新しい価値軸が現れ、人々や組織がその価値軸をもとに良し悪しを判断し、そこに時間や労力を投じ、互いに競いはじめている状態である。
例として、生成AI時代の「AIの賢さ」という新しい価値軸の登場が挙げられる。ここでいうAIの賢さとは、文章を書き、情報を整理し、プログラムコードを生成するなど、これまで人間が担ってきた知的作業をどれだけ高度にこなせるかを意味する。
この軸の出現とともに、計算資源への投資の対象は、従来のコンピュータの計算を支える「CPU」から、生成AIの計算を支える「GPU(graphics processing unit)」へとシフトした。その結果、エヌビディアが世界有数の時価総額を誇る企業へと成長を遂げたことは記憶に新しい。
従来、コンピュータの計算資源といえば「CPU」であった。負荷のかかる処理を行うためには、高性能なCPUが必要とされた。「2年で2倍になる」という半導体の集積率向上を示す「ムーアの法則」に支えられ、CPUの性能は向上し続け、人々や企業はそれを買い替え続けた。
しかし、その裏で起きたいくつかの重要な出来事により、計算資源に関する新しい見方が受け入れられるようになった[※3]。1つは、「AlexNetモーメント」と呼ばれる転換点だ。2012年、画像認識の精度を競うコンペにおいて、トロント大学のチーム(後のオープンAI共同創業者を含む)が開発したモデルAlexNetが、エヌビディアのGPUを用いて圧倒的な成績を収めた。この一件により、GPUは画像描画やゲーム向けのパーツというイメージを超え、大規模な深層学習の計算を支える計算資源として注目されるようになった。
もう1つは、オープンAIの研究者らが示した「スケーリング則」だ(著者メンバーの一部は後にAIのスタートアップであるアンソロピック〈Anthropic〉を創業)。これは、AIのモデルの規模、学習データ量、計算量を大きくするほど、AIの性能が向上するという経験則である。この考え方によって、より高性能なGPUを大量に確保し、モデルとデータを巨大化させ、AIの能力を高めるという投資行動が正当化されていった。
このように、計算資源の中心的なイメージがCPUからGPUへと大きく移行した背景には、AIの賢さという新しい価値軸の出現と、それに伴う行動変容、そして競争の発生が密接に結びついていたことがわかる。
この構図は、私たちの身近な生活にも見られる。例えば、「学歴」や「偏差値」という価値軸をもとに、「勉強」に時間や労力を投じるようになるのも、特定の価値軸に基づいた行動様式と競争状態である。こうした新しい価値軸が社会に組み込まれた時、変化は不可逆なものとなる。
注1 ザカリー・カラベル(2017)『経済指標のウソ 世界を動かす数字のデタラメな真実』ダイヤモンド社(北川知子訳)。
注2 Rosa, J. A., Porac, J. F., Runser-Spanjol, J., & Saxon, M. S. (1999). Sociocognitive dynamics in a product market. Journal of Marketing, 63(4_suppl1), 64-77.
注3 ムスタファ・スレイマン&マイケル・バスカー(2024)『THE COMING WAVE AIを封じ込めよ DeepMind創業者の警告』日経BP(上杉隼人訳)。







