AirPodsがヒットした理由は、単に音質や機能が優れていたからではない。Appleが変えたのは、イヤホンそのものに対する私たちの「価値観」だった。音楽を聴く道具だったイヤホンは、いまや会議や通話、移動中の情報収集にも欠かせない存在になっている。人はいつ、どのように「新しい当たり前」を受け入れるのか。Apple製品を例に、価値観が自然に塗り替わるメカニズムを『概念シフト』から紹介する。
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「新しい当たり前」を生み出す、概念シフト
概念シフトとは、ある対象のイメージが大きく変化し、「既存の当たり前」が、「新しい当たり前」へと塗り替わる現象を指す。この変化が個人にとどまらず、特定の集団や社会全体にまで波及すると、当初はまったく想定していなかったような「新しい現実」が生まれる[※1]。
概念シフトは、私たちの価値基準の変化と密接に結びついている。わかりやすい例として、AppleのAirPods (エアーポッズ)を挙げよう。このイヤホンには、ワイヤレス接続に加え、外の音を消すノイズキャンセリング機能や、耳に取り付けても外の音が自然にそのまま聞こえる外音取り込み機能、自分の声以外の音が遮断されるマイクがついている。
AirPodsの登場によってイヤホンのイメージが「音楽を聴くためのもの」から「音声を聞く・話すもの」にシフトした人も多いだろう。それまで質の高いイヤホンに期待されていたのは、「高音質」という価値だった。しかし、AirPodsの登場以降は「途切れない接続性」「低遅延」「自然な外音取り込み」「オンライン会議のやりやすさ」といった、新たな体験を支える機能が重要な価値を持つようになった。
スターバックスも、私たちの価値基準を変えた好例である。同社は1996年に日本に上陸し、本格的なコーヒーを楽しめる空間として受け入れられていった。
その後、来店者はコーヒーそのものだけでなく、家でも会社でもない店舗の居心地の良さに価値を見出すようになった。仕事や読書、待ち合わせ、一人で過ごす時間など、好きなことをリラックスしながら行う人が増え、いつしか「サードプレイス」としての利用価値が定着していった。
その結果、カフェは「一服する場所、誰かとゆっくり話すための場所、待ち合わせの場所」から「自分の好きなことをする居心地のよい場所」というイメージへ変化している。以来、私たちは、カフェに対してスターバックスのようなサードプレイス感を強く求めるようになっている。
このように、概念シフトが起こるプロセスでは、これまで重視された価値が徐々に新しい価値へと置き換わり、私たち自身の行動にも変化が伴う。その結果、人々はもう以前のようにものごとを見られない不可逆的な変化が起きる。
概念シフトは、製品の創出、企業のミッション・バリュー・戦略の提示、政策立案、芸術作品の発表など、社会に「変化」をもたらすあらゆる場面に関わっている。iPhoneやAirPodsのようなイノベーションは、概念シフトを引き起こす要因の1つとみなすことができる。
概念シフトがどのようなものか、イメージができただろうか[※2]。概念シフトをより深く理解するため、概念シフトの特徴の一つである「なめらかな変化」について語っていこう。
概念シフトは「なめらかな変化」
自然災害やパンデミック、戦争など、ある日突然これまでの日常がガラリと変わるイベントが生じる時、わかりやすい形で概念シフトが起きる場合がある。他方で、水面下で概念の変化が進行し、気づけば大きな変化を遂げる場合も多い。
例えば、書籍や新聞などの膨大な英語テキストをもとに、米国社会におけるアジア系の人々のイメージの変化を分析した研究がある[※3]。20世紀初頭には、アジア系の人々は「野蛮な」「攻撃的な」「怪物的な」「残酷な」といった言葉と強く結びついていた。
しかし、約80年が経過した20世紀末になると、ほとんど正反対の「抑制的な」「受動的な」「繊細な」といった言葉との結びつきが強くなった。つまり、アジア系の人々を危険な外部者として捉えるイメージから、控えめな人物として捉えるイメージへと大きく変化した。これはアジア系の人々に対する概念シフトの一例といえる。
もちろん、100年単位で観察できれば、あらゆるものの概念が大きく変わりうることは容易に想像できる[※4]。また、長期間を通じた概念の変化にはさまざまな要因が絡み合っており、まるで再現性がないようにも見える。
そのため、概念の変化を100年待つことは現実的ではないうえ、再現できないものには取り組みようがないようにも思えるかもしれない。
Apple製品が起こした変化
これに対し、ある程度短期間で、なめらかな概念シフトを繰り返し起こした企業がある。それはAppleである。同社は、音楽プレイヤーのiPod(アイポッド)からはじまり、iPhone、iPad(アイパッド)、AirPods、Apple Watch(アップルウォッチ)など、世界規模で市場の競争環境を激変させる製品を次々に投入してきた。
通常、革新的な製品やサービスを生み出した時、それらが持つ「新しい価値」が人々を引きつけるうえできわめて重要なポイントとなる。Appleの場合、同社が意図しているかは不明だが、まず、既存の価値と新しい価値が併存した製品を市場に投入している。人々は最初こそ既存の価値を重視して購入するが、徐々に新しい価値に気づき、やがて新しい価値を重視していくようになり、主要な価値が置き換わっている。
もう少し説明しよう。まず、成熟・成長市場において、既存の価値をより高めた製品を投入する。携帯電話であれば他者とのコミュニケーションや直感的な使いやすさ、イヤホンであれば音質やノイズキャンセリング、Apple Watchであればアクセサリーや非接触支払いとしての魅力だ。だからこそ、人々は「まったく新しいもの」というよりは「既存の製品よりも良いもの」として捉え、購入を後押しする動機が明確になる。
ただし、これらの製品を利用していくにつれ、人々は既存の市場で重視されていた機能や体験ではなく、別の機能や体験こそが不可欠だと「自然と」気づく。iPhoneであればアプリの利用やリッチなコンテンツの体験、イヤホンであれば音声を聞くことや会議すること、Apple Watchであれば運動などの新しい習慣形成の補助である。
このように、製品の既存の価値が、いつの間にかスライドして新しい価値が浮かび上がり、携帯、イヤホン、時計に期待するイメージは製品の登場時とはまったく異なるものに変化している。
新制度論:Greenwood, R., Suddaby, R., & Hinings, C. R. (2002). Theorizing change: The role of professional associations in the transformation of institutionalized fields. Academy of Management Journal, 45(1), 58-80.
社会運動論:Snow, D. A., Rochford, E. B., Worden, S. K., & Benford, R. D. (1986). Frame alignment processes, micromobilization, and movement participation. American Sociological Review, 51(4), 464-481.
文化動態論:Kashima, Y., Bain, P. G., & Perfors, A. (2019). The psychology of cultural dynamics: What is it, what do we know, and what is yet to be known? Annual Review of Psychology, 70(1), 499-529.
規範動態論:Gelfand, M. J., Gavrilets, S., & Nunn, N. (2024). Norm dynamics: Interdisciplinary perspectives on social norm emergence, persistence, and change. Annual Review of Psychology, 75(1), 341-378. 文化心理学:北山忍(2025)『文化が違えば、心も違う?──文化心理学の冒険』岩波書店。
注2 概念シフトは「パラダイムシフト」の考え方と重なる部分がある。どちらも、人々のものの見方や、何を当然とみなすかが大きく変わる現象を指している。ただし、パラダイムシフトがしばしば、ある時代、業界、学問分野、社会全体に共有された大きな世界観や前提の転換として語られるのに対し、概念シフトは、特定の対象に対するイメージや価値基準の変化に焦点を当てる。また、概念シフトは、予測、知覚、行動、学習の関係を重視する神経科学・認知科学の知見に着想を得ている点にも特徴がある。なお、トマス・クーンの提唱したもともとのパラダイムシフトは、科学コミュニティにおける理論、方法、価値、模範的な問題解決例などの転換を指す概念である。トマス・S・クーン(2023)『科学革命の構造 新版』みすず書房(青木薫訳)。
注3 Garg, N., Schiebinger, L., Jurafsky, D., & Zou, J. (2018). Word embeddings quantify 100 years of gender and ethnic stereotypes. Proceedings of the National Academy of Sciences, 115(16), E3635-E3644.
注4 例えば、「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」(https://coten.co.jp/services/cotenradio/)を参照すると、現代とは異なる概念のもとで人々が世界を理解し、行動していた歴史的事例に触れることができる。







