デロイト(編集部注/世界最大級の会計事務所)のミレニアル年次調査によると、若者の68%が、社会の期待に応えるプレッシャーを感じていると回答しています。

 みんないっしょの同調圧力の中で育ってしまうと、なかなか頭角を現すのは難しいです。

 時間やモノや人間関係の身辺整理をして、体のどこかにとんがった自分を持つことをおすすめします。

 そのためには、常にそれぞれの年代に応じた身辺整理をすることが必要です。

 僕は、よろよろしながらも、この不羈独立をやり続けることができたように思います。人生の後半戦、よろよろしながらであっても、ひとりできちんと生きていけるためには、自分自身がしっかりすることが大事です。

自分の周りにあるものは
一つひとつ手放していく

 洋服や靴は、1年使わなかったら、さらに1年の猶予期間を置くようにしています。

 それでも使わなければ、メルカリに出したり、古着屋に持っていったり、友だちに譲ったりします。
 妻の洋服は、娘や孫に回すこともあります。

「これ、着る?」

 そう言って、まずケータイで写真を送るんです。

「送って。着てみたい」と言われたら実物を送る。そうでなければ処分する。

 こんなことを続けていると、減らすことが特別な決断ではなく、日常の習慣になってきます。

 僕にとって、靴には、どうしても思い出のあるものがあります。

「これは残したいな」と思う靴も、正直あります。

 思い出として、一足ぐらい残してもいい。

 そういう気持ちまで無理に否定しなくてもいいと思っています。

 ただ、靴は結局、靴箱に入れるしかありません。

 靴箱に入れると、見直す機会はほとんどなくなります。

 そしてある日、「減らすか、残すか」という二度目の場面で、結局はまとめて手放すことになることが多い。

 そんな経験を、僕自身、何度もしてきました。

 そうした経験を重ねるうちに、「減らす技術」みたいなものが、少しずつ身についてくるのだと思います。

多くの人が整理しにくい
「思い出の写真」の扱い方

 最後まで迷うのは、たいてい「思い出」に深く関わるものです。

 その最たるものが写真でしょう。

 写真は、自分ひとりのものではありません。

 家族がいる場合、最終的には残された人が考えるしかない。

 だから僕は、家族にこう伝えています。

「孫の代になったら、自分たちが小さいころの写真を残して、アルバムは全部捨てていいよ」と。

 写真は、インターネット上にもたくさん保存しています。

 それをどうするかは、僕が死んだあと、妻や息子たちが決めてくれればいいと思っています。

 結局、なんだかんだ言って、

「こんな面白いことを言っていたな」

「こんなことをやっていた人だったな」

 そうやって思い出しながらどんどん削除していい。

 雑誌の連載などで被災地のことを書くとき、「15年前に東日本大震災の支援に入ったときの写真はありませんか」と、雑誌側から言われることがあるので、写真は保存しています。

『身辺整理』書影身辺整理』(鎌田 實、明日香出版社)

 僕が死んだあとは、そういう利用の仕方がなくなるので、ほとんど全部削除していいと思っています。

 身辺整理は、死ぬ準備ではありません。

 生きているうちに、身軽になるための習慣です。

 人生の節目節目で、少しずつ。

 最初は徐々に、あとは大胆に。

 減らす技術が身についてきたら、モノを囲い込みすぎない勇気を持つことも、大切だと思っています。