日本の外務省の反応は、「わが国固有の領土への訪問は断じて受け入れられない」「外交ルートを通じて厳重に抗議した」という定型的な態度にとどまりました。過去のロシア要人による北方領土訪問の際に、繰り返されてきた通りです。

 もちろん、日本政府が領有権に関する立場を表明し、抗議することは必要です。定型文を発表すれば、国内向けの説明責任も果たせます。しかし抗議は、外交政策の本質ではありません。ロシアの行動を変えさせる効果はないからです。抗議した後にはロシア側の目的を分析し、日本の国益を実現するための手を打つ必要があります。

ロシアの意図を分析しなければ
相手の宣伝に乗せられるだけ

 ところが外務省は、ロシアの行動を非難することと、その意図を分析することを混同しています。外交発言には、相手国政府向け、国内世論向け、軍・治安機関向け、第三国向けという複数の機能があります。それを区別しなければ相手の宣伝に乗せられるだけです。

 ここで重要なのは、こうした日本政府の反応を、プーチン氏が予測していたことです。日本政府の「断じて許容できない」「強く抗議する」という態度表明は織り込み済み。むしろ、その反応を引き出すことによって、日本が従来の立場から一歩も動けないことを確認し、次の政策を決める材料にしています。

 プーチン氏の思考を読み解く上で参考になるのが、ロシアの政治評論家アレクサンドル・カザコフ氏が唱える「柔道外交」論です。カザコフ氏はプーチン氏の政治手法について、自分から最初の攻撃を仕掛けるのではなく、まず相手が動くように仕向け、その力と方向を見極めてから反応する、と説明します。

 正面から力をぶつけ合うのではなく、相手が押してくる力を利用して均衡を崩す。プーチン氏は得意の柔道から、この戦術を学んだというわけです。

 カザコフ氏の見方に立てば、今回のプーチン氏の言動は衝動的な挑発ではありません。日本による対ロ制裁、ウクライナ支援、ロシアを脅威と位置付ける安全保障政策を、日本側の「最初の仕掛け」と認識し、それを受けて12日の発言と13日の択捉島訪問があったのです。

 プーチン氏は、日本側の政策によって生じた力を利用し、「日ロ関係が悪化した責任は日本にある」というロシア独自の物語を構築しようとしているのです。

大使の呼び出し→報道縮小
プーチン氏の狙いは?

 カザコフ氏の「柔道外交」論に即して言うなら、日本がプーチン氏の動きに感情的に反発すると、相手の力を増幅させることになります。強い言葉で反応すれば、ロシア側はそれを「日本の軍国主義化」「領土要求の激化」の証拠として利用し、さらに強い言葉を返してきます。そこで日本側が再び反発すれば、ロシアはその反発を再利用して、より有利な政治的状況をつくろうとします。

 興味深いことに、8月13日以来、ロシア国営テレビでは日本に関する報道が急増しました。17~18日には武藤顕駐ロシア日本大使のロシア外務省への呼び出しと日本政府に対する強い批判が報じられました。

 ところが20日以降、この流れが急速に弱まりました。8月13日以降の出来事を整理すると、プーチン氏が択捉島を訪問→日本政府の抗議→ロシア側の強い反発→武藤大使を呼び出し→択捉島の実効支配を強調する報道→対日報道の縮小という流れになります。

 これまた、プーチン氏に特徴的な「抑制を伴う強硬外交」の一環であり、「柔道外交」だと見ることができます。強い圧力を加えた後にあえて間合いを取り、日本側の反応を見極めようとしていると考えられるわけです。

 高市政権は、ロシア側のシナリオに乗せられることなく、抗議と対話を同時に進めるべきです。領土問題について従来の立場を維持しながら、プーチン氏のシグナルに応答すればいいのです。「択捉島訪問には抗議する。しかし日ロ間の諸問題を、対話によって解決する用意がある」と伝え続けることです。

 首脳、外相、国家安全保障担当者の間に、複数の連絡回路を再構築すべきです。また、元島民の墓参、漁業、安全操業、海難救助、エネルギーなど、双方の具体的利益が重なる問題から協議を再開する必要があります。

 抗議と水面下での接触は矛盾しませんし、制裁と対話も両立します。表で原則を示しながら、裏で妥協の可能性を探るのが外交です。外交とは、日本が道徳的、法的に正しいと主張することではありません。日本の国益をどこまで実現したか、の一点でのみ評価されるものなのです。