トヨタ、日産に次ぐ「3位」だったことも
三菱自の栄枯盛衰

 三菱自動車は、三菱重工業の自動車部門から独立したのが1970年と、日本の自動車メーカーの中では最も日が浅い。1980年代から90年代前半までは「ギャラン」「ランサー」「ミラージュ」など乗用車でヒットを飛ばした。特にギャランは複数の日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。三菱自をトヨタ、日産に次ぐ「第3位」の座に押し上げた。

 しかし、90年代後半から数々の不祥事が露呈する。まず、米国工場でセクハラ民事訴訟が起きた。国内では総会屋への利益供与が発覚。2000年代に入るとリコール隠しが社会問題になり、一気に経営が悪化した。

 ダイムラー・クライスラーと資本・業務提携したことでダイムラー主導の経営に移行したが、再びリコール隠しが発覚すると、ダイムラーからもさじを投げられた。

 2003年にトラック・バス部門が独立(三菱ふそうトラック・バス設立)。04年からは三菱グループ主導で経営再建することになり、三菱商事出身の益子修氏が社長に就任した。

 益子社長時代は長く、経営が安定したかと思いきや、16年に軽自動車の燃費不正問題でまたも業績が悪化。当時、カルロス・ゴーン氏がトップだった日産が三菱自に出資することになり、日産傘下に移行。ゴーン氏が三菱自の会長を務めるようになった。

 こうして三菱自は「ルノー×日産」連合に入ったが、19年にプロパー社長が誕生(加藤隆雄氏)すると、米国工場閉鎖や中国ビジネス撤退を決断。東南アジアに重点を置き、プラグイン・ハイブリッドやSUV車種に絞った商品戦略で、選択と集中を徹底していった。

 では今後、三菱自はどこに向かうのか。