ノイズを遮断し「ぼんやりする時間」の価値
続けて小林は、誰もいない美術館で絵と向き合う時間の孤独について触れています。
ルーブルは混雑しているが、ここは何時行っても人気がなく、私は、中央の椅子に坐って、長い間ぼんやりしていたものだ。実際、絵の方も、全く人気のない絵と言った感じがする。光の戯れというものは、これほど淋しいものか、と見入っているとぼんやりして来る。『近代絵画』(新潮文庫)
――『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』より
――『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』より
スマートフォンを開けば常に情報が飛び込んでくる現代において、「ぼんやりする」ことは無駄な時間とみなされがちです。しかし、外界のノイズを遮断し、ひとつの対象と静かに向き合う空白の時間が、深い思考を熟成させるためには不可欠です。
仕事の合間にあえてデジタルデトックスの時間を設け、自分の内面と向き合うことが、創造性の源泉となります。
ひとつの道を「狂人のように」突き詰める凄み
最後に小林は、光だけを追い求めたモネの生き様をこう評しています。
すると、親しい友達にも笑われながら、一人で池ばかり眺めているモネの姿が思われる。彼は第一次大戦も知らずにいたかも知れない、そんな風に思われて来る。世界には光だけしか見えない、だから光だけがある、よくもそんな道を、狂人の様に一筋に辿れたものだ。『近代絵画』(新潮文庫)
――『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』より
――『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』より
周囲に笑われようと、自らの信じる道を「狂人のように」一筋に突き詰める。多角化やリスク分散が叫ばれるビジネスの世界ですが、他者を圧倒する突き抜けた成果を生み出すのは、こうした狂気にも似た一点突破の熱量です。
小林秀雄の深い鑑賞体験は、現代を生きる私たちに「本当の思考とは何か」を問いかけています。効率よく情報をかき集めるだけでなく、対象の奥底に潜り込む「没入力」を鍛えることが、本物の教養であり、ビジネスを勝ち抜く最強のノウハウといえるでしょう。





