言語処理や論理的思考でAIが人間を凌駕し始めるなか、「人間の知性とは何か」が改めて問い直されている。AIにはない「生きるための切実さ」や、死と老いという身体の有限性。限りある命と時間があるからこそ、私たちは優先順位を考え、価値や目標を生み出すことができる。AIには真似できない人間だけの価値と創造性の源泉を『すべて本能のせい』から紐解く。(ダイヤモンド社書籍編集局)
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AIにはない「生きるための切実さ」
生成AIの目覚ましい登場によって、言語の処理や論理をつくる領域では、人間が最も知的な存在であるという前提そのものが揺らいでいます。
では、このような時代において、私たちが本当に問い直すべき大切なことは何でしょうか。
私はそれこそが、「生命にとっての知性とは、一体何なのだろう」という、新しい視点だと考えています。
コンピュータの中で動くAIの優秀さは、論理を組み立てたり、統計的な相関関係の処理能力にあります。
しかしそこには、死への恐怖も、お腹が空いたときの痛みも、仲間から排除されることへの切実な危機感も、過酷な環境を生きのびたときに心の底から湧き上がる喜びも存在しません。
一方で、生命にとっての知性とは、あらかじめ用意された問いに対して、単に正しい計算を行う能力のことではありません。
刻一刻と変化する環境の中で、自らの生を維持し、それをより良い状態へと導く適応能力のことを指すのです。
身体を持たないAI
どこまで行っても生身の身体を持たないAIには、何が重要で何が重要でないかを決める身体的な基準がありません。
生命にとって価値のある情報とは、常に恒常性を揺さぶるものだからです。
私は老化の研究をしていますが、生命を考えるとき、いつも興味深く感じることがあります。
それは、私たち人間のほとんどの悩みや願いは、身体が老い、そしていつか死ぬという有限性から生まれているということです。
「限りある命」こそが、人間の価値と創造性の源泉
時間が限られているからこそ、私たちは何を優先するかを考えます。
身体が傷つくからこそ健康を求めます。
大切な人との別れが避けられないからこそ愛情や喪失の意味が生まれます。
もし死もなく、無限の時間と身体が与えられているなら、現在人間が抱える課題のほとんどは課題ではなくなるのだと思います。
しかし、それは同時に、人間が抱く夢や目標の多くも失われるということです。
なぜなら、私たちは限られた時間の中で生きているからこそ、「何を成し遂げたいのか」「何を大切にしたいのか」を考えるからです。
つまり、人間の価値や判断そのものが、身体の有限性の上に存在しているのです。
そして、その有限性こそが、人間の創造性の源でもあります。



