アジア大会だけじゃない
「国スポ不要論」
予算が厳しくても、競技場や宿泊施設などのハード面のカネは削れないので、ソフト面を削っていくしかない。つまり、現場スタッフへの研修、さらには旅行会社やバス会社などの関係企業間での綿密な打ち合わせ、そして現地で実際の人の流れを想定した事前のシミュレーションなどにかかるコストを圧縮していくのである。
実際、日刊スポーツの新人記者がアジア大会の取材のために名古屋駅に到着したが、大規模大会ならば必ずあるシャトルバスの案内標識がどこにも見当たらず、仕方なく電車で移動。会場のメインメディアセンターに到着してから受付で尋ねても返ってきたのは「詳細は分からない」。このカオスな状況を招いた原因について、複数のスタッフに話を聞いた記者はこんな結論に至っている。
「旅行会社やバス会社との連絡体制や案内スタッフらの研修などがうまく進んでいないことが今回のような混乱を招いていた」(9月21日 日刊スポーツ)
つまり、今回のアジア大会がトラブル続発しているのは「電通の独自ノウハウ」とやら以前に、大規模国際イベントのオペレーションに必要不可欠な「現場の人々への投資」をケチっているということに尽きるのだ。
このように今の日本ではスポーツ大会をやるほどの余裕がない。近年、不要論も飛び出している「国民スポーツ大会(国スポ、旧国民体育大会)」を見ても明らかだ。
国スポは全国の都道府県が持ち回りで開催をしてきたが、近年は財政負担の大きさが指摘されている。物価や人件費が高騰して自治体財政を悪化させるわりに、商業スポーツイベントと異なり経済効果も乏しいからだ。
実際、2023年の全国知事会の会長の村井嘉浩宮城県知事が「都道府県対抗の大運動会が本当に必要なのか」と疑問を呈し、2024年には個人的意見として「廃止も一つの考え方だ」と言及して大きな議論となった。
スポーツはこの社会に必要であることは言うまでもない。青少年の育成に欠かせないし、国際親善にも役立つ。しかし、それと大規模なスポーツ大会を、自治体が財政を注ぎ込んで誘致・開催するということとは話はまったく別だ。
国スポもアジア大会も、運営側はこぞって経済効果をうたうが、実際に会場に足を運んでみれば、空席も目立つし、大会期間中に現地のホテルや宿泊所が賑わうだけで結局、競技場の新設などにかかった巨額費用など「負のレガシー」のほうが大きくなる。
前回のアジア大会は中国・杭州で開かれた。開催前からのインフラ建設なども含めると、投資されたのは約300億ドル(約4兆9000億円)。3つの会場の建設費だけで総額約66億元(約1600億円)に上った(2023年7月17日 東京新聞)。
そもそも1000億円程度で、アジア大会を運営しようとしていた愛知県の見通しが甘過ぎたことは否めない。今回の失敗を受けて、我々がやらなくてはいけないのは「今の日本には海外から1万7000人も招く大規模スポーツイベントを主催するような国力はない」という現実を受け入れることだ。
しかし、多くの人はまだ日本を「イケてる大国」だと思い込んでいる。「電通が仕切っていたらうまくいっていた」なんて見苦しい言い訳を続ける限り、日本開催の国際イベントのトラブルはさらに深刻になっていくのではないか。








