波をかき分けて進む船、防波堤で糸を垂れる釣り人、日なたで丸くなる猫。潮風に吹かれて歩く。現地の人を見かけると、必ず「こんにちは」と声をかける。海をすれすれに飛んでいく海鳥の声が、切れ切れに聞こえる。

 波止場に打ち寄せるゴミ。流木や網、油などに混じり、空き缶やペットボトル、カップ麺などのプラスチックごみがびっしりと浮いている。年老いた私の手には負えそうにない。

写真 漁港で自撮り同書より転載

「こんにちは」。船着き場に停まっている船を覗き込む。顔を上げる漁師。私と同い年ぐらいだろうか、甲板の上で大きな魚を捌いている。

「それ何の魚ですか?」

「マグロだよ」

「この辺で取れるんですか?」

「キハダがね。本当はキンメを狙ってたんだけど」

 猫が集まってくる。地域猫だろうか。

「猫がどんどん来ますね」

「前は餌をやってたんだけど、俺の後にくっついてきて離れないんだ。だから餌はやらないことにしてる。あんた、鴨川の人?」

「そうなんですよ。あの高台の老人ホームに最近越してきました」

 マグロを捌いていた手が止まる。

「そうかい、町でも話題になってるよ。あそこの住人と話すのは初めてだ。マグロ持ってくかい?」

「いいんですか?」

『超高級老人ホームに入ってみた』書影『超高級老人ホームに入ってみた』(平野悠、集英社)

「漁獲量が決まってるから、売ることができないんだよ。持ってきな」

 海の男は気風がいい。たわいもない話に心が休まる。ホームの金持ち連中とは反りが合わないが、地元の漁師とは仲良くなりたい。

 ホームに戻って夕刻、誰もいない露天風呂で、夕日の沈む海を見ていた。

 夜は部屋から、町の明かりが浮かぶ海を見ていた。

 海、海、海。これを無限の退屈さというのだろうか、一日中、海から離れられない。新聞を賑わせている政治や社会の問題も、どうでもよくなってくる。

 全ての生命は海から生まれた。私がこんなに海に引きつけられるのも、きっとそこに故郷を感じているからだろう。