俳優の東出昌大 Photo:SANKEI
獲物を仕留める喜びと、命を奪うことへのためらい。その境界はどこにあるのか。俳優業のかたわら山で狩猟生活を送る東出昌大は、鹿を撃ち、命を奪うなかで、自分の子どもと重なる子鹿の姿や、獲物を殺すことで得られる「万能感」に向き合ってきた。殺すことが楽しくなる危うさとは何か。狩猟を通じて東出が突きつけられた、命を奪うことの重さとは。※本稿は、俳優の東出昌大『誰が為にか書く~東京から離れた山暮らし日記~』(扶桑社)の一部を抜粋・編集したものです。
鹿を撃って山に捨てる
ある若い猟師の話
猟友会に行くと先輩猟師のオッチャンに声をかけられた。
「タクヤ、あいつどうなってるだ?」
オッチャンの表情は曇り、話し出しの声のトーンからタクヤ(仮名)を快く思っていないことが伝わる。タクヤと私はたった1回の面識しかないが、3年前に知り合い伝いで紹介され、「今度猟師になるんですが、どうすれば鹿獲れますか?」と聞かれた為に本を数冊貸した。
その翌年、彼は狩猟免許を取得し、デビューを果たした。私も出猟のために山に出かけると山中でよくタクヤの軽トラを見かけていた為に「猟場に足繁く通っているんだなぁ」くらいには思っていたが、それ以外は特段何とも思っていなかった。オッチャンの話を聞く。
「あいつ、鹿撃つだけで、山にそのまんま捨ててくるだ」
心の中で「あ〜……なるほど」と唸った。昔の山の猟師は、山から肉を獲るために獣を獲った。それは昭和の中期頃までで、高度経済成長以降、ゴルフやフライフィッシングなど西洋の貴族の嗜みのような流れでクレー射撃やスポーツハンティングが流行した。だから、ご高齢の猟師さんの中には「俺は撃つだけで肉は食わん」と公言する人も少なくない。







