また、実際は食うのだが「そんな前時代的なことオラァしねぇ!」と差別的な意識を持って、食わないことを自称する人も一部にはいる。それでも食う人が多く、一回も食ったことがない人は稀な為、猟師は頭のどっかで「食べ盛りの若いもんは食う為に獲ってるんだろ」と思っている。
獣が爆増した現代、鹿を狩る人は「肉を獲る為」「農作物を守る為」「報奨金を得る為」の3種類が主だが、実は極少数ではあるが「殺すのが好きな為」の人もいる。タクヤは鹿を撃ち殺し、肉を山から下ろさずに帰って来ているのだと言う。タクヤが出て来た猟場で、行政に提出する為に尻尾だけ切り取られた鹿の死体を誰かが見たのだろう。
生殺与奪を操れる
「万能感」に潜む危うさ
先日、タクヤからLINEが来た。「1人でも獲れるようになったので本を返します」。
その文を眺めながら、また「なるほど」と唸った。若い猟師あるあるだが、獲れるようになると自分が力を得たかのような錯覚を覚えることがある。
実は私もあった。初めて鹿を単独で獲って猟師小屋に帰り翌朝に手袋が凍っていた際に「それで狩猟行けるか?」と師匠に問われ「まぁ、人差し指だけ動けば」と言ってみせて「かっけーじゃん」と笑われたことがあった。
1~2年経ち、この時の発言を自身で思い出して顔から火を吹きそうになったが、早い話、あの瞬間の私は「生殺与奪を操れる万能感」のようなものがひょっこり顔を出したのだろう。しかし推測だが、その殺しの万能感を尊重し続けると、さらに違う快楽を付加したくなるのではないかと、薄ら寒さを覚える。「鹿以外のものを撃ちたい」と。
昨日、私は鹿を撃った。立派な雌鹿で、腹を開くと子宮から胎児が出て来た。胎児はあどけなく、可愛い。そしてしっかり、心に来るものがある。胎児を埋設し、手を合わせて供養する猟師も少なくないが、私は母鹿と一緒に持って帰り、鍋にした。
供養の方法も人様々、殺す理由も人様々。だから容易に「あいつは間違っている」とは言えない。しかし、殺しが楽しい人とは、出猟は出来ない。
「背中を任せられる奴としか行くな」
師匠の言葉が思い出される。







