夏の山で目にする
鹿の親子の姿
6月、鹿のお産のシーズンになった。つい最近まで、栗毛の体毛に恰幅の良い砲丸投げの選手のような風貌をしていた雌鹿は、最近では夏用の赤黒い体毛をまとい、箱根駅伝を走るランナーのごとくホッソリした身体で軽快に斜面を駆け上る。
猟師の諺で「夏は雄鹿」と言う。雌は産後で体力の消耗著しく、尚且つ子供に授乳をするから栄養が抜け落ちている為に美味しくない。「夏に食うなら雄の鹿が美味い」と言う訳である。しかし「差異は味だけだろうか?」と以前から考えていた。そして最近、いくつかの考えが結実した。
きっかけはYouTubeだった。海外の動画で『Bear attacks deer』。“クマがシカの親子を襲う”映像だった。カメラ機材は山の中に設置されたトレイルカメラで、日常を過ごす親子鹿が先ず映る。そのうちに母鹿が警戒し始めるとすぐに熊が現れ、母鹿は警戒鳴きをしながら逃げるが、逃げ遅れた子鹿が熊の牙に捕まる、というたった1分間の映像だった。
しかし、映像の最後の方で、子鹿は「逃げ遅れた」ではなく「走ることを諦めて地面に擬態した」風に見受けられた。
初めて撃った子鹿に
我が子を重ねた
私もこれには経験があり、2年前、斜面を登る雌鹿を追ったがすぐに追い付けなくなり、仕方なく下ってきた先で草むらに突っ伏すバンビを見たことがあった。
食べる箇所も少ないから鉄砲を構える気も起きないし、そもそも「鹿を獲ってやろう!」と思いながら入山しているはずなのに、茂みの中に横たわるその姿を見て「具合悪いのかな?」と心配心が湧き起こされながら近付くと、シカのくせにタヌキ寝入りを諦めてピャァーッ!っと走り出したことがあった。なるほど、あれも擬態だったのか。
また、動画中の熊に噛まれる子鹿の声に、目も耳も覆いたくなる感慨を覚えた。これも6年前、似た想いをしていた。狩猟を始めた初年度、初めて単独忍びで獲った獲物が子鹿だった。獲れた喜びもあったが、自分の放った弾をモロに喰らって横たわる骸の横に立ち尽くし、その顔をじっと見つめた。あの光景は未だにまなこに焼き付いている。
写真はイメージです Photo:PIXTA
その獲物をバラし、猟師小屋に持って帰ると、師匠の服部さんが「よく獲ったな!……子鹿か。自分の子供思い出したろ?」と仰った。
正しく私の心を言い当てられたようで、ギクッとした。師匠は言葉を続けた。
「鹿も子供ってあどけない可愛さなんだよ。人間の子供と同じだろ」と。
『誰が為にか書く~東京から離れた山暮らし日記~』(東出昌大、扶桑社)
仰る通り、毛むくじゃらだろうがなんだろうが、あどけなくて可愛いのである。だから、獲りたくて仕方なかった獲物のはずなのに、とてつもない喪失感にも襲われた。そして、我が子がもし殺されたら?など、答えの出ない問いが増えた。動画中で熊に噛まれる子鹿の断末魔を聞いて、その姿を我が子と重ねて、心がキュウゥっと苦しくなった。
「母鹿を獲ると子鹿はそこから離れない」
一晩は逃げるが、翌日には母の姿を探し、その辺りを彷徨う。これは生存本能故なのか、母恋しさ故なのか。私はその両方だと思う。
「夏は雄鹿」は、美味いだけの理由ではないと思う。動画中、子供の断末魔を聞きながら、母鹿は最後に「ピィッ!」っと警戒音を放つ。絶望と慟哭と虚無が入り交じったその声。鹿も人間も、親であることは大差無いように、私は感じる。







