朝活で時間を生み出し、移動中は倍速で音声を聞き、週末は自己投資にあてる。少しでも無駄を減らそうと工夫を重ねるほど、なぜか毎日が味気なくなっていく――。効率よく生きることは、本当に私たちを満たしているのだろうか。立ち止まって問い直したいのは、「何のために」効率を上げているのか、ということだ。書籍『小さな実験』をもとに解説する。

いつのまにか、効率そのものが目的になる
スケジュール帳を隙間なく埋め、タスク管理アプリで一日の達成率を確認する。読書は冊数を記録し、散歩も歩数を数える。趣味だったはずの料理や写真まで、「副業にできないか」と考えはじめる。
どれも、もとは生活を良くするための工夫だったはずだ。ところが気づけば、時間をうまく使えたかどうかが、その日の価値を決める基準になっている。
生産性とは、そのための手段にすぎない。まして、生きることそのものを犠牲にしてまで追い求めるべきものではない。
(『小さな実験』より)
効率を高めることは、やりたいことに使える時間や力を増やすための道具だ。道具を磨くことに夢中になって、何を作りたかったのかを忘れてしまっては本末転倒になる。
「役に立つかどうか」で、すべてを測ってしまう
効率が目的になると、あらゆる時間に「成果」を求めるようになる。友人とのおしゃべりは何の役にも立たないように思え、目的のない寄り道は時間の無駄に見えてくる。休むことさえ、明日の仕事のための回復として位置づけてしまう。
だが、振り返ってみてほしい。心に残っている時間の多くは、むしろ「役に立つかどうか」とは無関係な瞬間ではないだろうか。気の置けない仲間と夜遅くまで語り合ったこと。ふと立ち寄った店で思いがけない出会いがあったこと。損得を考えずに何かに没頭したこと。そうした時間こそが、人生に厚みを与えている。
効率化の前に、問いをひとつ挟む
では、どうすればいいのか。効率化そのものをやめる必要はない。ただ、何かを効率よくこなそうとするときに、「これで浮いた時間を、自分は何に使いたいのか」と一度問いかけてみる。
その答えが具体的に浮かぶなら、その効率化には意味がある。反対に、何も思い浮かばないなら、空いた時間はまた別の作業で埋まっていくだけかもしれない。
そしてときには、あえて効率を度外視した時間を持ってみる。成果を求めずに手を動かす。結論を急がずに人の話を聞く。目的地を決めずに歩いてみる。そうした時間の中で、自分が本当に大切にしたいものが、少しずつ輪郭を帯びてくる。
充実した毎日を送るために必要なのは、時間を一分でも多く生み出すことではない。生み出した時間を何に使いたいのか、ときどき思い出してみることだけでいい。




