女性の肩に触れようとする男性写真はイメージです Photo:PIXTA

女性を守るためのハラスメント対策が、かえって女性の活躍機会を奪ってしまう――。そんな皮肉な事態が起こりうる。大学では、教員が異性と面談するときに部屋のドアを開けておくといったルールが広がっている。だが、教員が「自分は潜在的な加害者だ」と考え、リスク回避を徹底したらどうなるのか。ゼミ生の選抜で「迷ったら男」という不平等な判断が復活しかねない。経営学者の舟津昌平氏が、善意のコンプライアンスに潜む落とし穴を解説する。※本稿は、経営学者の舟津昌平『コンプラ過剰社会 法令遵守が私刑の武器に変わるまで』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。

「コンプラ違反」は
「法律違反」と同じなのか

「コンプライアンス」の本来の意味は、一般には「法令遵守」と説明される。法令を守るなど当たり前に大事なことであり、法令違反がよいことのわけがない。よいわけがないことをしているのだから、叩かれて当然、罰を受けて当然、と思う人が多いのかもしれない。

 元々コンプライアンスという言葉が強調されだした背景には、組織の不祥事があった。官僚による汚職。有名大企業の品質不正や偽装表示。ブラック企業の横行。法律に違反していながら罰を受けずに営業している企業は問題視されなければならない。組織の悪徳行為を是正しなければならない。そういう営為を通じて、社会をよくしていかなければならない。

 コンプライアンスは元来、そうした高邁な精神に基づいていたはずだ。しかし、このコンプライアンスの意味と用法が微妙に変わってきていて、本来の目的を逸脱している。たとえば有名人がSNSで批判され、炎上する。謝罪に追い込まれ、活動を休止する。このとき「コンプラ違反だ」とか「コンプラの時代に」などの表現が用いられる。