ハブとマングース写真はイメージです Photo:PIXTA

社会を守るはずのコンプライアンスが、なぜ人を追い詰めるのか。経営学者の野中郁次郎氏も、日本の国際競争力低下の一因として「規制の過剰」を指摘していた。ルールを守ること自体は正しいはずなのに、なぜ息苦しさが広がるのか。実は、その構図はハブを退治するために持ち込まれたマングースが、かえって希少な動物を襲うようになった悲劇によく似ている。経営学者の舟津昌平氏が、コンプライアンスが本来の目的を見失う危うさを解説する。※本稿は、経営学者の舟津昌平『コンプラ過剰社会 法令遵守が私刑の武器に変わるまで』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。

日本の国際競争力低下は
コンプラの過剰のせい?

 2025年1月、世界的に著名な経営学者である野中郁次郎が亡くなった。知識経営の代表的論者として知られる野中は亡くなる直前まで対談や執筆の仕事をこなし、生前いくつかのメディアで、「日本の国際競争力低下の背景に3つの過剰がある」と指摘していた。

 曰く、「オーバー・プランニング(計画の過剰)」、「オーバー・アナリシス(分析の過剰)」、そして「オーバー・コンプライアンス(規制の過剰)」が3つの過剰であるという。

 なんとなく、言わんとすることはわかる。

 コンプライアンスが過剰だという指摘には、よく言ってくれた!と少なくない人が膝を打つのではないか。コンプライアンスなるものがなんだか息苦しく、私たちを縛りつけているという感覚をもつ人は一定数いるはずで、その違和感に呼応するような指摘だ。

 ただ、コンプライアンスの元々の意味は「法令遵守」である。「過剰に法令を守ろうとしている」ってなんだかおかしくないだろうか。法令とは守るものである。過剰なのだとしても、法令を守ろうとすることの何が問題なのだろうか。企業不祥事は未だに後を絶たないわけであって、遵守の意識はむしろ過剰なくらいでよいようにも思われる。コンプライアンスを、法令遵守のことだと捉えるならば。