職場で先輩から暴言を浴びた女性が、上司に相談。ところが返ってきたのは「本人の出世にも響くから、穏便に」という言葉だった。さらに同僚からは「最近流行りのコンプラみたいなやつ?」と冷笑されてしまう。一方、テレビ番組では「木のスプーン」という言葉さえ、コンプライアンス上の理由でネタに使えないことがあるという。なぜコンプライアンスは、本来解決すべき問題を見えにくくしてしまうのか。経営学者の舟津昌平氏が、コンプラが過剰に振りかざされる社会のゆがみを指摘する。※本稿は、経営学者の舟津昌平『コンプラ過剰社会 法令遵守が私刑の武器に変わるまで』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。
木のスプーンをネタにするのは
コンプラ的にアリかナシか
お笑い芸人フットボールアワーの岩尾望 Photo:JIJI
「今、コンプラ厳しいですからね」
このフレーズが、2010年代後半あたりから、さまざまなところで聞かれるようになった。その言葉には多くの場合、あきらめ、嘆き、皮肉、懐疑が詰まっていて、コンプライアンスが厳しいと言っても仕方ないかもしれないけど言わずにはいられない、といった空気に満ちている。
コンプラ違反の摘発と、違反を犯した人や会社への糾弾も、日々活発である。失言をしたコメンテーター。不倫をした芸能人。悪いことをした会社。よくわからないが何か謝罪しなければならないようなことをした人。それを擁護した人。さまざまな人が、多くはネットの力を借りて狩られていき、気がつけばいなくなっていたり、あるいはいつのまにか復帰していたりする。何がダメで何なら許されて戻ってこられるのか、その基準は誰にもわからない。
コンプライアンスに対して息苦しさや不満を訴える向きは特に芸能界でよくみられ、お笑い芸人フットボールアワーの岩尾望がとある番組でぶちあげた話がある。曰く、「ウソやろ?みたいなことでダメですと言われる。こっちも炎上覚悟のギリギリのネタをするつもりもないし、当たり前にできるやろと思っていたら、この言い方はダメです、このワードは使えないです」と言われることが多々あるという(注1)。







