1998年、はじめてハイアールを取り上げ、「中国の松下になる可能性がある」と予言してから2002年までの間、かなり頻繁に同社を取材・訪問していた。特に2002年には、約半年間もかけて同社を集中取材した。取材の舞台は中国国内だけではなく、アメリカやアラブ首長国連邦、イランなど海外にまで広げた。

 その年の秋、ハイアールでの数ヵ月にも及んだ取材がつい終わった。見送りに来たハイアール広報担当者から、「莫さん、次回はいつ取材に来られるのか」と聴かれたとき、「しばらく来ないと思います。次に取材に来るときは、皆さんが今より遙かに高いステップに上がった時点でしょう」と答えた。

ハイアールの取材を再開した理由

 それから10年の歳月が過ぎ去った。ずっと静かにハイアールの動きを観察していたが、取材に行こうとは思わなかった。しかし、2012年、私はついにハイアールへの取材を再開する決意を下した。

 2011年秋、日本および東南アジアにある三洋電機の白物家電(冷蔵庫・洗濯機)事業がハイアールに売却された。その譲渡により、ハイアールは三洋電機が保持する特許、商標などの一部を手に入れたばかりでなく、三洋の社員約340名を含む約3100名の社員も引き受けた。こうしてハイアールは2012年新年早々から新しいスタートを切った。

 1980年代後半から、家電分野での台頭を目指すハイアールは、ドイツや日本の家電企業をモデルに、懸命に学び続いていた。三洋電機もその先生たる存在の一つであった。ハイアールの三洋電機に対する買収はある意味では、日中企業の逆転を象徴している。ハイアールがこれまでとは次元が違う大きいステップに立ったと私は受け止めた。

 一方、中国企業が海外企業の買収に失敗した実例をいくつも知っているだけに、その将来に対しては自然にある種の心配も抱いていた。そうすると、そのビジネスの現場を見てみたいという気持ちが次第に高まった。そろそろ、もう一度ハイアールに対する集中取材を行おうと胸の中で思い始めた。